2024-10-01から1ヶ月間の記事一覧
学校、就職、結婚、住居・・・。人生には大きな選択を迫られることがあります。 大きな選択が成就するように祈願して欲しいと依頼された場合、本人が自分の意志でしっかりと決め、それが自己中心的なものでなければ、わたしはお受けし、ご本尊の前で祈ります…
ある女性が一人の男性に恋をしました。男性はその女性に特に好意を抱いてはいませんでした。一方的な恋です。 女性はマンションで一人暮らしをしている男性に「あなたの部屋の掃除をさせてくれない」と頼み込み、男性の了解を得て部屋の鍵も預かりました。し…
このブログで、わたしの供養体験を紹介してきました。 わたしの供養は、唱題(お題目、南無妙法蓮華経を唱えること)で、わたしの純粋意識、言い換えれば「在ることそのものの自己」が妙法と一つになることによってなされるものです。 純粋意識。それは『般…
今年の7月13日、わたしは高校三年生のケンタロウ(仮名)と鎌倉に赴きました。一泊二日の小さな旅です。大学進学を目指すケンタロウは入試科目に日本史を選んでおり、彼の中世史の実地の学習と、幾つかの場所での御霊(みたま)の供養が旅の目的です。 ケン…
僧侶として、ただ儀礼としての形式化した葬儀、法要を営むのではなく、真に御霊(みたま)の救済ができる供養がしたい。これがわたしの切なる思いです。 仏教は無霊魂論である。そういう人もいます。このことに関して、今さまざまに論じられていますが、仏教…
長い間、亡き人の供養のために読経、唱題(南無妙法蓮華経を唱えること)をさせていただいてきました。 供養を終えて依頼者から「ほんとうに供養ができているのでしょうか」と、もし問われたら、わたしは「心を込めてさせていただきました」とは言えても、「…
お題目、南無妙法蓮華経を唱えて、さまざまないのちと響き合っていると、自他は離別したものではなく、つながっていて深いところでは一つであるということが実感されます。 日常生活の中で人は、大人であれば社会的地位や経済状況など、中高校生であれば学力…
教養として仏教を学ぶ。それも良いことですが、ほんとうに仏の教えを知りたければ体験するしかないと感じています。 その体験とは、いのちと響き合う体験です。このいのちには、あらゆるいのちが含まれます。あの世の人のいのち、この世の人のいのち、神仏の…
「法華経というお経の正式な名称をご存じですか」と訊くと、ほとんどの人が答えられません。日ごろ法華経に親しんでいる日蓮宗の檀家さんでも、知らない方が多数います。 『法華経』の正式名称は『妙法蓮華経』です。「南無妙法蓮華経」は『妙法蓮華経』に「…
昨年の9月から『14歳からの南無妙法蓮華経』の執筆、編集に入り、ブログを更新するゆとりがありませんでした。 ようやく今年の9月にこの本が完成しました。これからまたブログを更新していきます。 「14歳からの~」というタイトルですが、実際に手に取っ…