体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

待つのは難しい

 

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すぐに答えが欲しくなってしまう。すぐに人に答えを与えたくなってしまう。そんな最近の自分をみて、これはよろしくないと思っています。

 

かつて私は、高校教員をしていましたが、この仕事の本質は、待つことにあると考えています。

 

先ほど、自分のfacebokを開いたら、今は弁護士をしている教え子が、私の駄文を読んでくれていました。

高校時代の彼はかなりのヤンチャ坊主でした。バイクで暴走したりして・・・それ以上は記すのはやめておきますが(いろいろと面白い話があるのですけど)、とにかく問題児でした。

 

彼は大学に行くつもりはなかったのですが、進路をそろそろ決定しなければならないという時期に、わたしから「君は大学に行った方がよい」と言われたそうで、それで大学受験を決意したそうです。「言われたそうで」と記したのは、わたしはそのことを覚えてないからです。ですが彼について、当時、私は「こいつは、時間はかかるけど、待てば大きき成長するだろう」と感じたことは覚えています。

 

高校三年時、彼の学力は中学校一年の英文法の知識もあやふやな状態で、浪人をすることとなりました。ですが必死に勉強して大学の法学部に進学し、その後、大変な苦労をして弁護士の資格を得ました。彼は卒業後も毎年年賀状をくれ、彼が成人してからは酒を飲みながら、励ましたこともありました。

 

教員時代、毎年、自分の年度目標を掲げ、できる限りそれを数値化することが求められていましたが、車の販売台数や、飲食店の売り上げ高などと違って、教育の本当の成果は数値化できず、何年も経ってから出てくるということを、わたしは身に染みて感じてきました。

 

みほとけは待つことの達人です。わたしたちが失敗しようが怠けようが落ち込もうが、無条件の慈悲でわたしたちを包み、ほとけの世界に来るのを待っていてくれます。

 

私は当分ほとけにはなれそうもありませんが、待つことの修行に励みたいと思っています。困難な状況の中で耐え忍んで待つ修行を、仏教では忍辱(にんにく)と言います。仏壇や墓前にお供えする花は、忍辱の象徴です。自然の厳しさの中で風雨に耐え忍び、美しく咲く花に学びたいと思います。

 

「私は花になりたい」そう妻に言ったら、「どうぞご自由に」と言われました。妻の冷たい言葉にも耐えて、わたしは今日も仏の道を歩みます。