体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

わたしの中にある地獄、そして仏の世界

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江戸時代のことです。一人の武士がある僧侶にこう尋ねました。「地獄というものが本当にあるのか、教えを乞いたい」僧侶はこう答えました。「武士のくせに、そのようなことも知らぬのか。この愚か者めが」武士は激怒しました。「僧ゆえ下手に出ておったら何たる無礼な言い草。許せぬ!」そう言うと、武士は刀を抜いて僧侶の頭に振り上げました。

その瞬間、僧侶は言いました。「そこじゃ!今のお主の心に現れておる、そこが地獄じゃ」

日蓮聖人は次のように言われています。

「浄土というも、地獄というも、外には候わず。ただ我らがむねの間にあり。これをさとるを仏という。これにまようを凡夫という」

浄土も地獄もどこか遠い所にあるのではなく、自己の心の内に在る。それが聖人の教えです。

若かりしころ、妻がわたしにこんなことを語ったことがあります。         

今朝、なんだかイライラしていて、大したことでもないのに子どもをきつく叱ってしまったの。私の中に鬼がいる。そう思って落ち込んだの。でも添削答案(妻は小学生の通信添削のアルバイトをしていました)を届けるためにバスに乗ったら、知らない年上の女性から、「あなたの着ている白いセーター、とても素敵だわ。あなた、可愛いウサギちゃんみたい」って言われたの。それから答案を届けて、室長さんと子どもの話をしていたら「あなたは慈母観音のようですね」って言われたわ。                               私の中に鬼がいて、可愛いウサギがいて、観音さまがいる・・・。なにかとても不思議な気がしたの。

妻の話を聞いて、わたしはこう思いました。わたしたちは人間界に住んでいるけれど、人の心の内には鬼が住む地獄界も、可愛いウサギが住む世界も、観世さまが住む菩薩の世界も存在しているのだな。

仏教は、人の心の中には、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の十の世界が存在していると説きます。人の心中には、人間界だけではなく、他の九界も同時に存在しているというのです。さらには、人間界ばかりではなく、他の九界のどの世界の存在の心中にも十の世界が具(そな)わっていると説いています。これを十界互具(じっかいごぐ)と言います。                                  妻はこの十界互具を感じたのでしょうか。

恐ろしい鬼女の能面を般若の面といいます。般若とは「最高の智慧」を意味します。なぜ鬼女の面を般若の面と呼ぶのか。それは鬼女の面を彫らせたら並ぶ者がないと言われた面打ちの名人の名前が般若坊であったからだと言われています。

般若坊は、鬼女の面を彫ると、必ずその裏に美しい観世音菩薩を描きました。これは鬼女の心の内にも菩薩の世界があるという十界互具の教えによるものなのでしょう。

わたしは教員時代、問題行動を起こした生徒と向き合い、悪戦苦闘することが多くありました。そのとき、わたしを支え導いてくれたのが、この十界互具の教えです。

「何で本を床に横積みにして置くの。本棚に空きがあるんだから、ちゃんと縦に並べなさいよ。ほこりも積もっているわ。まったくだらしがないんだから」今はそう、わたしを厳しく叱責する妻に、観音の姿を観じています。