体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

仏の種

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写真の青空の下に茂っている樹木は、我が家の土手に生えている榎木(えのき)です。

徒然草』には「榎木の僧正」の話があります。

良覚僧正という腹悪しき(怒りっぽい)お坊さんがいました。このお坊さんの寺に榎木があったので人々は彼のことを榎木の僧正と呼んでいました。良覚僧正は、これを「けしからん!」と言って、榎木を切ってしまいました。すると人々は良覚僧正のことを、きりくい(切り株)の僧正と呼ぶようになりました。良覚僧正はこれにも腹を立てて、切り株を掘り起こしました。すると掘った後が池のようになったので、今度は、人々は良覚僧正を堀池(ほりけ)の僧正と呼ぶようになりました。、

教員時代、古典の時間に『徒然草』のこの段を教えたき、生徒からこんな質問を受けたことがあります。

「今、良覚僧正というのは比叡山の大僧正だったと習いましたけれど、そんな偉い僧侶が、腹悪しき人だったんですか」

鋭い、もっともな質問だと思いました。わが身を顧みると、妻から「ホント、あなたは怒りっぽいんだから」と言われることがあります。わたしは、良覚僧正とちがって偉くない僧侶ですが、自戒せねばと思います。

今、我が家の榎木を見て、榎木が大木へと育っていくことを実感しています。良覚僧正の寺の榎木は、切り株を掘り起こした跡が池になったくらいですから、相当な巨木であったのでしょう。                                 

我が家の榎木は自生したものです。普通、榎木は一般家庭の庭木にはしません。鳥が土手に落としたフンの中に榎木の種があって、それが発芽して成長したのでしょう。

土手の榎木は大木になる前に、枝を切り落とさねばなりません。一粒の小さな種が大木になるというのは、当たり前と言えば当たり前でのことですが、そこに命の力の偉大さを感じずにはいられません。

仏となるための要因を仏種といいます。日蓮聖人は妙法蓮華経の五字が仏種、すなわち仏の種であるとされ、南無妙法蓮華経を唱えることを勧められました。南無妙法蓮華経が本当に仏となる種なのか。このことは、法華経に出会った当初は信じ難いことでした。ですが南無妙法蓮華経を唱えるているうちに自ずとこのことが実感されるようになりました。

植物の種が成長するためには、光や水が必要となります。同様に、仏の種が成長するためにも光や水が必要でしょう。ではその光や水とは何か。それは自己と他者への敬いの思いではないかと思います。法華経に登場する常不軽菩薩は、自分を蔑(さげす)む人を含めて、あらゆる人を敬い、あらゆる人に合掌しました。この合掌が光や水となって、仏の種は発芽し成長していくのではないか。そのように、わたしは感じています。