体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

御会式法要から帰ってきました

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自慢じゃありませんが、わたしは不器用です。それもかなりの不器用です。ということで、僧衣を畳むのにも時間がかかります。身延山での三十五日間の修行で、毎日衣を畳んできたのに、着るのも畳むのスームーズにはいかない。今日の蓮馨寺の御会式でも、ぎこちなく衣を畳んできました。

わたしは折り目正しい人間ですが、わたしの衣は折り目が正しくありません。困ったものです。わたしの修行をご指導くださっている斉藤上人は、「お題目は不器用でも唱えられる」とおっしゃいましたが、これは、わたしにとって実に有り難いお言葉です。

僧衣というのは一種類ではないのです。道服(どうふく)、居士衣(こじえ)、本衣(ほんね)などがあり、その下に着る白衣(はくえ)というものもあります。袈裟(けさ)も略式と複数の正装用の袈裟があります。日蓮宗では袴(はかま)も着用します。これらを状況に応じて使い分けるのですが、衣の畳み方は、すべて異なります。ホントに苦労します(苦労しているのは、不器用なわたしだけかもしれませんが)。

写真は蓮馨寺の納骨堂前の今朝のわたし。道服で袴を着用しています。この後、本衣に着替え、五条袈裟という袈裟を着け、御会式法要に臨みました。

法要では、しっかりと読経、唱題をさせていただきました。これは、ぎこちなくありませんでした。(これがぎこちなかったら、叱られます)。法要に出た僧侶は、導師を務められた蓮馨寺のご住職の他に、わたしを含めて三人。コロナも今は、大きな問題はないようですので、密にならないようにして、檀信徒も列席しました。

法要を終えて、蓮馨寺のご住職、辻本上人と短時間お話をしました。八十歳に近い辻本師は布教に長年邁進されてきた方です。師は、多くの僧侶が、葬儀・法要のみに力を入れ、日蓮聖人の教えをしっかりと伝えようとしていないことを憂慮されていました。

以前、辻本師は、「布教は命がけだよ」とおっしゃり、こんな話をわたしにされました。

ある老婦人のお宅でお経をあげ、お話をしたときのことです。お昼時でしたので、老婦人は「昼ごはんを召し上がってください」と言い、お櫃(ひつ)の湯気の立つ白飯にしゃもじを入れようとしました。と、そのときです。辻本師はあるものを見てしまったのです。それは、老婦人の鼻から垂れて、お櫃のご飯に落ちる鼻水でした。そのことに気づかなかったようで、老婦人は、しゃもじでご飯をかき混ぜました。

辻本師は「申し訳ない。急に腹痛を催しまして、ちょっとご飯は・・・」と言い、危うく難を逃れました。

次の日、その老婦人がお寺にお参りに来ました。「お上人さん、お腹の具合はいかがですか。ぼた餅を作ったんですけれど、よろしかった召し上がってください」。そうすすめる老婦人に、甘いもの好きの辻本師は「今日は大丈夫。ありがたくいただきます」と言って、ぼた餅をほおばりました。

それを見た老婦人は言いました「おいしそうに食べていただいて本当によかった。このぼた餅、昨日のお櫃のご飯で作ったんです」

「命がけの話」は置くとして、実際に辻本師は多くの困難を乗り越えて一寺を建立されました。辻本氏師は在家(一般家庭)出身ですが、わたしの二人の師匠も在家出身です。お三方とも、御仏に導かれ、みずからの強い意志にによって道を開いて来られた僧侶です。在家出身のわたしは、この三人の僧侶に勇気づけられています。

今日の法要の帰り際、お寺の玄関で辻本師はわたしにこう言われました。「頑張りましょう」もちろん頑張るのは、仏の教えを正しく伝えることです。