体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

丹田呼吸法

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まず、前回の記事「呼吸のちから」の補足をしておきます。

鼻と口のどちらで呼吸をしたらよいのか、迷う方もあると思います。ヨガでは鼻呼吸をします。氣功では一般に口から吐いて鼻から吸います。この逆はなさらないでください。

昔わたしが氣功を習った先生は、「ガンになるのは簡単だ」と言っていました。煙草を大量に吸い、日常、口から吸って鼻から吐く呼吸をしていると、間違いなく肺ガンになるのだそうです。この先生は実際にこの方法で肺ガンになり、その後、氣功で自分のガンを治したといいます。  

丹田呼吸法を紹介しましょう。

肩の力を抜いて腰を立ててイスに座ります。掌(てのひら)は、重ねて下丹田の上に置きます。おへそから6~7センチ下がった下腹部の中央内部が下丹田です。ここは氣(生命エネルギー)の貯蔵庫です。

掌の重ね方は男女で異なります。これは男女で気の流れ方に違いがあるからです。女性はまず右掌を下丹田の上に置き、それに左掌を重ねます。男性はこの逆に掌を重ねます。

立位で丹田呼吸法を行う場合も、同様のかたちで下丹田の上に掌を重ねます。この場合、直立ではなく、膝をほんの少し緩めて真っ直ぐに立ちます。

旅館や料亭の女将さんは、ちょっと膝を緩めて「いらっしゃいませ、よくお越しくださいました」と挨拶をします。決して膝を真っ直ぐ伸ばした、直立の姿勢で挨拶をしません。それは、膝を少し緩めた方が氣が出るからなのです。女将さんの優しい氣を受けたお客はホッとして癒されます。直立姿勢は、固まって閉ざされていて、氣が出ない姿勢なのです。

呼吸法は吐くことから始めます(軽く吸ってから吐き始めても大丈夫です)。しっかりとお腹から息を吐き切ります。できるだけ細く長く、ゆっくりと吐き切ります。口からフゥーッと吐き切ったあと、口を閉じて力をゆるめると、お腹が膨らみ、自然に息がスッと入ってきます。吐く息が長く吸う息が短い呼吸となります。意識的に息を吸うとリラックスできませんので注意してください。

この呼吸を保ったまま、座位で瞑想することもできます。その際は下丹田に重ねていた掌を離して、甲ではではなく掌を上にして左掌は左、右掌は右の太ももの上に置きます。このとき掌の中央のツボ、労宮で呼吸をする感覚を持って(もちろん実際には口と鼻で呼吸をしているわけですが)いると、掌がジンジンしてくるはずです(してこなくても問題はありません)。これを続けていると、掌から出る氣が強まります。

「手当て」という言葉がありますが、昔の人は掌から氣が出て、その氣が病や傷を癒す効果を持っているということを、日常、体験していました。

身体で気が最も強く出る箇所。それは目と掌です。「さようなら」と掌を相手に向けて振るのは、氣を相手に送っているのです。ちなみに足の裏からは邪気と呼ばれるものが出ますので、よく洗い清潔にしておく必要があります。

起床時、窓を開けて空気を入れ替えて、丹田呼吸法を行うのは、心身の健康のためにとてもよいことです。

私は「気」ではなく「氣」という文字を用いています。それは「氣」の字の中の「米」が生命エネルギーを四方八方に放っていることを示してしているからです。いっぽう「気」では、生命エネルギーを〆てしまう、つまり閉じ込めてしまうことになります。

氣は、決して観念的なものではありません。優れた武道家は常に氣を感じています。

ある理髪店に武道家がやってきました。理髪店の店主は、武道家の髭を剃りながら、こう思いました「このお客さんは武道の達人だという噂だ。だけれど今オレが手にしているカミソリで首を切れば、簡単に絶命させられるな」と、思った瞬間、武道家が声を発しました。「今オマエの考えていることは分かっているぞ!」武道家は店主の殺気を感じたのでしょう。

人は氣のレベルでも交流しているます。これは普通、無意識のレベルで行われています。ですが道のつく世界(武道、茶道、仏道など)の修行をしていると、それを意識のレベルで感じ取ることができるようになってきます。これらの修行の根底にあるのが呼吸です。

氣には強くても濁ったものもあれば、弱くても清らかなものもあります。放つ氣は人によって千差万別です。

立派な衣をまとっていても卑しい氣を放っている僧侶もいますが、気の感覚の鋭い人からは、すぐに見抜かれてしまいます。これは他人事ではありません。「天ぷら坊主」にならぬように修行に励みたいと思います(飲食店でエビの天ぷらを食すると、衣ばかりが立派で中身のエビがやせ細っていることがあります。このエビの天ぷらのような僧侶を「天ぷら坊主」と言います)。

読経、唱題をし、丹田呼吸法を実践していますと、落ち着きを得るばかりではなく、気の感覚も養われ、新しい世界が開かれてきます。