「ジェニファー、おはよう。今日も一緒に頑張ろうな」
教室に入ると、まずそう言って学校生活をスタートさせる男子高校生がいました。
ジェニファーは、ガールフレンドの名前ではありません。彼の愛用するボールペンに付けられた名前でした。「おはよう・・・」の声は、ボールペンにかけられたものであったのです。
それを、男子のクラスメートたちは「オマエ、バカじゃないの」と笑い、女子たちは冷ややかな目で見ていました。
わたしは、この男子をバカだとは思いません。この行為を、とてもステキなことだと思います。
物を長い間、慈しんで大切に扱っていると、そこに持ち主の思いが籠ります。その思いが持ち主を幸せにするということがあります。。
包丁は料理人にとって、大切な物ですが、岐阜県の関市では「刃物供養祭」という行事が行われています。わが国では、筆供養、針供養といった行事も行われてきました。
日本人は、物をただの道具として扱うのではなく、そこに込められた思いの力を感じ、その物に助けられていることを感謝してきました。
「今日もよろしく頼むぞ」そのように機械に声をかける職工さんや、車に声をかけるタクシードライバさんーがいます。このように慈しみをもって物に接している人は、皆いい顔をしています。このような人たちは、物をただの所有物ではなく、わが身の分身のように感じているのでしょう。
サイコメトラーと呼ばれる人がいます。物に残留している想念を読み取る能力を持った人です。サイコメトラーは、物に籠っている思いから、その物を使用していた人の性格などを読み取ることができます。
わたしには、サイコメトラーのような能力はありませんが、物に籠っている思いを感じることはあります。
長男が幼いころ、廃品置き場でクマのぬいぐるみを拾い、抱いて帰ってきたことがあります。きれいとは言えない古びたぬいぐるみでしたが、なにかとても温かいものを感じました。可愛がられていたぬいぐるみだったのでしょう。
昔、家族で房総を旅行し、ペンションに宿泊したときのことです。入室してベッドを見ると、「ここで寝るのかよ。まいったなあ」とわたしはため息をつき、妻を見ました。妻もわたしと同じことを感じたようで、頷きました。
ベッドの寝具に、ギラギラとした性的な欲望のようなものが付着しているのを感じたのです。若いカップルに人気のあるペンションであったからでしょう。
綺麗なペンションで食事も美味しく、子どもたちは、はしゃいでいましたが。
古い木製の家具には家族の思いが染み込んでいることがあります。中古品で家具を購入した場合、幸せな思いが籠っている家具であればよいのですが、そうではない場合、家族が、なぜかネガティブな気持ちに陥るいったことが起こり得ます。指輪なども古い物は要注意です。購入前にその品物と向き合い、「何となく」でも構いませんので、その物の発する氣(思い)を感じてみることをお勧めします。
安価な物を使い捨てにするのではなく、多少高価であっても、自分の気に入ったものを求めて慈しみ、長く使うのが、幸せになる秘訣ではないかと思います。
ボールペンに名前を付けた男子のように、わたしも愛用している万円筆に名前を付けようかと思います。ですが女性の名前を付けることは避けなければなりません。妻に叱られますので。