体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

これもまた過ぎ去っていく

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諸行無常(万物は常に変化して永久不変なものはないこと)は釈尊の説かれた真理です。

古典の授業で「諸行無常」を解説し、「無常でないものを挙げることのできる人はいないでしょう」と話を締め括(くく)ったところ、一人の生徒が挙手し、こう言いました。「先生、永遠に変わらないものはあります。」

「一体なんなの?」と訊(き)くと、男子生徒はこう答えました。「それは僕の彼女への愛です」

男子生徒の気持ちは分かりますが、残念ながら彼女と結婚して愛し続けたとしても、必ず死という別れの時がやってきます。会者定離(出会った者はいつか必ず別れる運命にあること)がこの世の真実です。

この世が無常であることは大人なら誰でも分かっていることです。しかし私たちはどうしても変化を拒み、何かに執着してしまいます。伴侶を亡くした後、喪失の悲しみから立ち直れない人は多くいます。近年ペットを愛玩する人が増えていますが、その死でペットロスに陥る人もいます。

「放てば手に満てり」という言葉があります。

何かを手でギュッと握りしめていると、そのもの以外を手に載せることはできません。それを放(ほか)せば、何でも自由に手に載せることができます。

新婚当時にお姑さんから意地の悪いことを言われ、三十年後、お姑さんが亡くなった今もその言葉を覚えているという女性もいます。

良きことにも悪しきことにも、執着せずに、今を生きるというのが幸せに生きる秘訣なのではないかと思います。

日々の生活のなかで辛い出来事に出会った時、私がいつも心の中で唱える言葉があります、それは「これもまた過ぎ去っていく」です。どん病も不幸も必ず過ぎ去ります。

無常が真理であるなら、死は永眠ではなく、死後も私たちの意識は変化し続けていくはずです。死を恐れる必要もありません。恐れなくてはいけないのは「執着」です。法華経は、このことをはっきりと説いています。

「これもまた過ぎ去っていく」この言葉を唱えた後、私はお題目(南無妙法蓮華経)を唱え、心を光で満たします。

「変化して止(や)まない時の流れの中で、苦しいときも悲しい時も衆生は常に如来の慈悲の中にある」それが法華経の教えです。

過去にも未来にも囚われず、本仏の慈悲の光に照らされて、今日という日を生き切りたいものだと思います。