体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

ビックリするような供養もあります

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日本人は先祖だけではなく、動物や生物、さらには使用した道具までを供養してきました。

生類供養(しょうるいくよう)という言葉がありますが、「生類」には牛馬などの哺乳類だけではなく、鳥類、魚類、虫類までが含まれています。

殺虫剤製造大手のアース製薬では、兵庫県赤穂市の寺院でゴキブリやムカデの写真(遺影?)を仏前に掲げて、実験に使った害虫を弔う「虫供養」を、毎年営んでいます。

アース製薬としては、面白おかしく報道されるのは本望ではないので「こういった活動をしています」という対外的な発信はしていないとのこです。製薬会社の「虫供養」はほとんど知られていません。

日本人は、長年使ってきた針を柔らかい豆腐に刺して感謝する「針供養」といった行事も営んできました。書道家は「筆供養」をご存じだと思います。伐採された草や木を供養した「草木供養塔」というのも存在します。

上野の不忍池弁財天堂に参拝したおり、境内に様々な供養のための塔や碑、塚があることに驚きました。冒頭の写真は、その中の、鳥塚とふぐ供養碑です。弁財天堂の境内には、包丁塚、扇塚、糸塚といった無生物の供養塚もあります。

日本人は、先祖をはじめとする亡き人のみならず、草木や道具までも労(ねぎら)ってきました。そして、この営みを「供養」という仏教語で表現してきました。

諸仏、諸天善神に灯明、香華、飲食物を供え、お経を読誦(どくじゅ)して讃嘆し、敬う行為が仏教の供養です。

しかし庶民がこの意味で供養と言う言葉を用いることは普通ありません。民衆は慰霊と同じ意味で供養という言葉を使ってきました。

供養が無生物の道具類にまで及ぶのは、長く大切に使った道具には霊が宿ると感じてきたからでしょう。

日本にキリスト教が根付かないのは、その世界観によるものだと思われます。「神が人をお創りになり、動植物はその人の下に置かれ、人によって支配されるものである」というキリストの世界観は、草や木のいのち、さらには道具までも尊び、慰霊するという日本人の感性とは異質なものです。

日本仏教は、仏教が伝来する以前から日本人が持っていた霊的感受性と相まって、独自の発展を遂げたのです。