体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

清潔志向の落とし穴に、陥っていませんか

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コロナ禍で、頻繁に除菌スプレーで掌を消毒するようになりました。コロナ対策は必要ですが、掌を含めて人間の身体に棲んでいるいる微生物の多くは、わたしたちの健康上、必要な存在であるということを忘れると、バランスを欠くことになるでしょう。

微生物たちを、清潔すぎる生活環境の中で失っていることを懸念する医師もいます。過度な清潔志向は考えものであるようです。

私が以前愛用していた古語辞典には「抗菌カバー採用」という表記がありました。「防菌ボールペン」というのを使ったこともあります。除菌するために、ウエットティッシュで筆記用具をぬぐっている人も見かけます。

生きている限り、自分の身体から菌を排除することは絶対にできません。皮膚には常在菌が棲み、腸の中にはビフィブス菌、大腸菌ウェルシュ菌などさまざまな腸内細菌が棲んでいます。

これを気持ち悪いと、不快に感じる人もあるでしょうが、実は私たちの体に棲んでいる細菌は、健康に生きていくためには共生してくれなくては困る、とてもありがたい存在なのです。腸内細菌には悪玉菌もいますが、善玉菌は免疫力をつけたり、病原菌を排除したり、ビタミンを合成したり、さまざまな善いはたらきをしてくれています。

ある日、「長生きするためには腸内環境が大切です」と近所のお年寄りに話しましたが、次の日、箒を持って公園を清掃している、そのお年寄りに出会いました。そのお年寄りは、笑顔でわたしに言いました。「チョウナイ環境が大切だからね」

「腸内環境を」を「町内環境」と勘違いしたようです。昔はあまり知られていませんでしたが、今、腸の重要性が注目されています。

本年5月に死去された、東京医科歯科大学名誉教授、藤田紘一郎氏は、自著「腸内細菌と共に生きる」で次のように述べています。

「心の病気にしても体の病気にしても、原点にある腸内の共生関係,情報のやりとりを紐解いていくことで解決の糸口が見えてくるはずなのです。」

藤田氏は,今日本で多発している花粉症、アトピー性皮膚炎といったアレルギー性疾患やうつ病は、戦後、日本人が進めてきた「清潔志向」とそれによる「日本人の無菌化」と密接な関係をもっているという指摘をしてきました。

「清潔志向」は、かつては体の中に棲んでいた寄生虫や細菌を駆逐することにつながり、攻撃する相手のいなくなった免疫細胞は、困惑し、微妙な狂いが生じはじめ、花粉やホコリと闘うようになり、アレルギー反応が起きてしまった」

そのように藤田氏は言います。

藤田氏は、寄生虫がアレルギーを抑え、心の健康にも善いはたらきをすることを、確認するために、自分の体内に寄生虫のサナダムシを飼いました。サナダムシは人体の消化管中に生息し、10m以上になるものも存在するそうです。

びっくりするような話ですが、行き過ぎた清潔志向を省み、腸内の生き物に注目することは必要でしょう。

身体だけではなく、心の面でも、あるべき理想の状態を定めて、それにそぐわないものを排除していくと、健やかさが損なわれることがあるようです。

妻に先立たれた後、しばらくして体を壊した男性を、わたしは知っています。その人は周囲を心配させてはいけないと、いつも笑顔で過ごしていました。彼には「悲しみや涙は男には不要なものだ」という思いもあり、それを排除しようとしていました。

ある日、男性は見舞いに来た友人から「泣きたいときには泣いた方がいい」と優しく声をかけられました。その言葉を聞いた男性は、どっと涙があふれ出て号泣しました。その後、男性の体調は回復しました。

江戸時代の話ですが、ある農村で、お寺に足繫く通っている、信心深い人格者だと言われているおばあさんがいました。そのおばあさんの孫が病に侵されて亡くなった日のことです。おばあさんは、大声でワンワン泣きました。それを見た一人の村人が「おばあさんは心のできた人だと思っていたが、そうではなかったようだね」と言いました。

すると、おばあさんは、「孫が死んだんだ。泣くのがなぜ悪い」と言って、泣き続けましたが、次の日の朝になると、何事もなかったかのように元気に農作業に出かけました。

悲しみをはじめとするネガティブな感情を排除しないことも、健やかに生きるために大切なようです。

道岡日紀というお坊さん(故人)が「法華経はイエスの教えだ」と言っていました。「イエス」は、イエスキリストの「イエス」ではありません。ハイと肯定するときの「イエス」です(ちなみに、道岡上人の奥様はクリスチャンでした)。

法華経』は、悲しみも怒りも苦しみも、すべてを否定せずに包含し、「生の全体性」を説くお経です。