体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

神さまは願いを叶えてくださいますが・・・。

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前回は仏さまについて記しましたが、今回は神さまについてのお話です。

小学生の男の子から、「神さまと仏さまとでは、どっちの方が偉いんですか」と質問を受けたことがあります。

仏さまは神さまの上に位置しています。                    

仏教では、仏の世界に赴くことができず、輪廻するする六つの世界、すなわち、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道があることを説きます。六道の上に、輪廻から解脱した仏の世界があります。

六道中の最上位にあるのが天道で、その世界の住人が神です。天部の神と呼ばれています。毘沙門天、弁財天、大黒天、聖天(しょうてん)はその例です。お稲荷さまというと神道のイメージがあるかと思いまが、仏教でもお稲荷さまを祀り、稲荷神も天部の神です。

わたしの家の近くにある法華宗の寺の尼僧さんがお稲荷さまをお祀りしました。このお稲荷さまは霊験あらたかで、お祀りすると信徒の数がどんどん増え出し、お寺は豊になりました。さらに尼僧さんは、信徒にもその稲荷神の分け御霊(みたま)を祀らせました。

最初のうちは信徒もご利益を授かり、よかったのですが、次第にお寺で様々問題が起こり始め、信徒の精神状態は不安定になっていきました。

そこで、はじめて尼僧さんは、心の修養をおろそかにして、現世利益のみを求めて祈ってきたことに気づきました。尼僧さんはそれを反省し、心を入れ替えて修行し、真剣に読経、唱題をしました。すると問題は収まり、信徒の心にも平安が戻りました。

神々は、慈悲と智慧に満ちた仏の世界には、まだ入っていません。その手前の世界にいます。粗末に扱えば怒ることがありますし、人間が欲望を持って願えば、その欲望に加担することもあります。それゆえ、永遠の仏陀につながる真摯な修行をせずに祀ると、翻弄されることになりかねないのです。

未熟な家庭教師は、教え子に代わって宿題をやってあげます。教え子は、そのときは「先生、助かりました。ありがとう」と言って、ラッキーと思うしょうが、実力は付かず、あとで困ったことになります。

天部の神々には、この未熟な家庭教師のようなところがあります。依存してはいけません。怒らせてもいけません。

同じ名を持つ神でも、祀られているお寺によって、霊格の高い御霊(みたま)もあれば、そうではない御霊もあります。

狐霊(これい)は稲荷神の眷属(お使い)ですが、狐霊自体を稲荷神として祀っているお寺もあります。狐霊が人に縁づいた場合、その人が真剣に修行をしていれば、狐霊もまっとうに働き、霊格を上げていきます。しかし、たましいを磨くことをせず、物質中心の生き方をしていると、人と共に狐霊も堕落していきます。

先の尼僧さんは、そのよい例です。この尼僧さんの寺は、今は男性のお孫さんが引き継いでいますが、この方は真摯(しんし)にお題目を唱えられていて、住職として危なげがありません。今、このお寺のお稲荷さまのお社の前に立つと、よい気を感じます。

聖天さまは、非常にご利益のある神として知られ、七代の富を一時に集めてしまうと言われています。天台宗の或る、聖天さまをお祀りする寺院の御宝前(神仏の前)には、新聞紙にくるまれた一万円札の束がお礼として供えられていることがあります。盗まれる危険性があるので、あえて新聞紙にくるみ、札束と気づかれないようにカムフラージュしているのでしょう。

百万円が必要でこの神さまにお願いする場合は、「二百万円を授けてください」と祈ります。そして二百万円が手に入ったら、百万円をお礼としてお供えするのだそうです。聖天さまは、現世利益に強い力を発揮しますが、元来、荒々しく厳格な神であるので、失礼がないようにお祀りするのは大変に難しいと言われています。

わたしは、汗を流して真面目に商売をし、そのうえで、永遠の仏陀とつながるお題目を唱え、天部の神さまを信心している人を知っています。いっぽうでは、物質的な欲望中心で天部の神さまを信心している人も知っています。

お金を儲けることをを否定はしません。ですがそれは、人生の目的ではありません。死後のことを視野に入れて、神さまに依存して楽をしようとするのではななく、苦難も修行と受け入れて、たましいを磨いていきたいものだと思います。

そうしませんと、家庭教師に宿題をやってもらった子どものように、あとで困ったことになります。