体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

ホントにさまざまな祈りがあります・その1

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昼休みにマフラーを編んでいる女子生徒がいました。「誰にあげるの」と訊くと、片思いの男子にプレゼントするのだと言います。微笑ましい話です。ところがそのあとの彼女の言葉を聞いて、微笑ましくない話に変わってしまいました。

女子生徒は「わたし、毛糸と一緒にあるものを編み込んでいるんです」と言うのです。「何なの」と訊くと、彼女は笑みを浮かべながららこう答えました。「わたしの髪の毛です」

「どうか彼がわたしのものになりますように」と強い祈りを込めて、自分の髪の毛を一緒に編み込むと、その祈りが叶うのだそうです。

数日後のことです。わたしは、そのマフラーをしている男子生徒と校門で出くわし、短時間、立ち話をしました。わたしはマフラーのことについては、あえて何も触れませんでしたが、彼はこんなこと言いました。

「先生、このマフラー、オレに似合っているしょ。でも気のせいだとは思うんですけど、このマフラーをしてると、なんとなく首のあたりが苦しくなるんですよね」

相手のことを思わず、一方的に自己の思いを遂げようとする祈りに出会うことは少なくありません。

現世利益の祈りについて、寺院にびっくりするような依頼がくることもあります。

或る若い住職のもとに、「抱擁をお願いします」というメールが来て、びっくりしたという話を聞いたことがあります。これは性的な欲望とは関係なく、単なる「法要をお願いします」の打ち間違いでしょう。

どうでもよい話を記してしまいした。祈祷を受け付けている寺院に舞い込んだ、びっくりするような依頼の話を記したいと思います。その依頼とはどのようなものか。

「死んで欲しい人がいるんです。祈ってください」というものです。

住職は、「仏教では、人を呪い殺すような祈りはいたしません。ご要望には添えません」と断りました。しかし「どうしても」というので、依頼者に理由を聞いてみました。

「主人が浮気をしていて、家に帰ってこないのです。浮気相手が死ねば主人は帰ってきます。ですから浮気相手の女を呪詛して欲しいんです」

住職は返答しました。

「呪詛はできません。ですが、円満な家庭に戻ることができますようにと祈ることでよければ、お受けしましょう」

住職は御祈祷をしました。その結果はどうなったか。

浮気相手の女性には何の変化もありませんでした。しかし、夫は、突然、性器が腫れ上がり、痛くて我慢できず、家に帰ってきたのでした。帰宅すると、痛みはスッと引き、泌尿器科を受診する必要もなくなりました。それ以来、依頼者の夫は浮気相手の女性にまったく近づかなくなりました。

わたしに同様の依頼があったらどう対応しようか・・・。そんなことを考えていると、ある僧侶の対応を思い出しました。

その僧侶は、「主人が浮気相手のマンションから帰ってこないのです」という相談を受けたとき、相談者にこう言いました。

「ご主人の下着を洗濯して丁寧に畳み、マンションを訪ね、それを浮気相手の女性に渡してください。その際、ただ頭を下げて『主人がお世話になっています』とだけ言うこと。他に何も言ってはいけません」

相談した女性はこれを素直に受け入れ、実行しました。すると主人は、翌日帰ってきました。

浮気相手の女性から「家に帰りなさい」と言われ、マンションから追い出されたのでした。

すべてがこう、うまくいくいくとは限りません。相談を受けた僧侶は、このケースの場合は、これでうまくいくだろうと直感したのだと思います。

同じような相談でも、対応の仕方はさまざまです。どう対応するかで僧侶の力量も試されます。

わたしは、欲望を充足するための祈りはお断りしますが、受験合格、病気平癒の祈りは、お受けしたことがあります。ですが、「合格しますように」とか、「治りますように」と祈念することはしていません。ご本尊に依頼主の願意は伝えますが、わたし自身は、ただご本尊と一つになる唱題に全集中します。それは、次のような例を知っているからです。

僧侶の御祈祷を受けて、合格は不可能に近いと言われていた難関高校に合格した男子がいました。親子ともども喜びましたが、一年後、その男子は高校を自主退学することとなりました。ぎりぎりの成績で合格したので、高度な授業についていけなくなってしまったのです。この場合は、難関校には合格しない方がよかったのかもしれません。

「祈ることしかできない自分を無力だと感じます」という人がいますが、祈りには力があります。力があることは間違いありませんが、正しく祈ることの難しさを、わたしは実感しています。