体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

シンクロニシティーで道は開ける。

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教員時代、朝の通勤電車の車内で、女子高校生の会話が耳に入ってきました。

「昨日の夜、家族でテレビを見ていたら、突然お母さん『おばあちゃんが死んだ』って言って涙を流したの。それでお父さんが『縁起でもないことを言うもんじゃない』と怒ったら・・・、しばらくして電話のベルが鳴って、わたしが出たら、おばあちゃんが亡くなったという知らせだった。本当に驚いたわ」

何の根拠もないけれど、予感したことが現実になった。悩んでいた問題が、ひょんなことから解決した。会いたいと思っていた人と、ばったり旅先で出会った。

このような「何という偶然だろう!」「あり得ない奇跡的な出会いだ!」といった、不思議でびっくりするような偶然の一致を、精神科医で心理学者のカール・ユングシンクロニシティーと名付けました。案外このような経験をしている人は多いのではないでしょうか。

教員時代、中年の同僚から、こんな話を聞きました。

「二十代後半、まだ彼女はいないけれど、そそそろ結婚をしたいなと思っていたころのことです。

冬休み、実家のある山形に帰省しようと上野で夜行列車に乗り込みました。ボックス席に着席すると、目の前に若い女性が座って座っています。普段は見知らぬ女性に声をかけることはありません。でもこの時は、ちょっとためらいましたけれど、持っていたミカンを「よろしかったらどうぞ」とその女性に差し出しんです。そうしたら女性は「ありがとうございます」と笑顔で受け取ってくれました。それから彼女との会話が始まったんです」

ここまで話して、彼は「このあと、どうなったと思います」とわたしに聞きました。「そんなこと、わからないよ」と言うと、彼はこう言いました。「彼女は今、ぼくの奥さんになっています」

彼女の実家は、何と彼の実家のある町の隣町にあり、共通する話題が多く、話が弾んだそうです。

彼は、前日に帰省しようと思っていたのですが、所用ができてこの日になってしまいまったとのこと。空席は他に幾つもあったそうです。

この日、この時間の列車に乗り、この席に座らなければ、奥さんと出会うことはありませんでした。出会っても、彼がミカンを渡そうと思わなければ、奥さんは、ただの目の前に座っている女性に過ぎず、列車を降りたあと、会うこともなかったでしょう。

「ミカンを差し出さなかったら、ぼくの人生は違ったものになっていました」そう彼は語りました。

シンクロニシティ―は、日常、誰にでも起こりますが、起きていることに気づかないこともあります。

朝、洗面台の上のガラスのコップが、たまたま手の甲に触れて床に落ち、割れたことがあります。このことで、わたしは何となく「今日は事故や怪我に注意した方がよい」と感じました。

この日、原付バイクで出掛けたのですが、いつも以上に安全運転に心がけて乗車していました。すると、突然、横の道から乗用車が飛び出してきてバイクにぶつかり、わたしはバイクごと転倒しました。幸い、ゆっくり走っていたので、かすり傷で済みました。

コップが割れたことをシンクロニシティ―だと感じなければ、大きな怪我をしていたかもしれません。シンクロニシティ―に注意を払い、それを活用することで、人生の流れは良き方向に変わります。

なぜシンクロニシティ―が起こるのか、科学的的にはわかっていません。

わたしは、シンクロニシティ―は見えない世界(みほとけの世界、深層意識の世界)からのメッセージであると考えています。

シンクロニシティ―と共に生きるコツをお伝えしましょう。

過去世から現世へと綿々と続いている、たましいの成長に沿った人生の流れがあります。この流れに乗っている時にシンクロニシティ―は起こるようです。

わたしの身に、身延山での正式に僧侶となるための修行中、さまざまなシンクロニシティーが起こりました。これは、仏道を歩むことが、たましいの成長に沿った流れに乗っているからでしょう(見えない世界の導きに心から感謝しています)。

「どう生きることが、わたしにとってよいのか」そのような問いを持って生きているとシンクロニシティ―が答えを示してくれるようになります。

わたしが、ある大きな決断をしようと思ったときのことです。そのあと、電車に乗ると、若者がスっと立って席を譲ってくれたり(わたしは、まだそんなに老いてはいないので、席を譲られるのは珍しいことです)、普段は待たされるタクシー乗り場で、タクシーがすぐ来たりと、帰宅するまで、すべてがスムーズに運びました。このとき、わたしは、この決断は、してよいのだなと感じました。実際あとになって、その決断が正しかったことがわかりました。

自分が本当に何を願っているのかを明確にするとシンクロニシティ―が起こるということもあります。

高校入学時に、わたしが担任を務めるクラスの生徒に、「高校時代に英会話能力を上達させたいと思う者はいるかい」と訊くと、ほぼ全員の生徒が「ハイ」と手を挙げます。ところが卒業時に英会話能力を高めることのできた生徒はごくわずか。それは本気で願っていなかったからです。

本気で願うと、シンクロニシティ―が起こります。偶然によい学習方法や優れた先生に出会ったり、外国人の友達ができたりといった、不思議な経験をすることになります。

願いを明確にしたら、できることから始めましょう。行動することが大切です。その願いが、あなたのたましいの成長の流れに沿ったものであれば、行動に移すと、それに応じてシンクロニシティ―が起こり始めます。

見えない世界からのメッセージを受け止めようと心の耳を澄ませてください。そして願いを叶えるために汗を流して行動してください。すると表層意識の計算や意図を超えて、不思議な偶然が起こり、願いに向かって導かれていくことでしょう。

誰もが仏の慈悲のなかにあり、導かれている。それが法華経のメッセージです。このことに気づくと気づかないでは、人生に大きな差が生じます。

シンクロニシティ―で人生の道は開けます。