体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

言霊で開運する

f:id:kasinoki1957:20211209233023j:plain

「ありがとう」を唱えていると運が開ける。そのような話をよく聞きます。ポジティブな言葉を多く発するのは、開運の秘訣であると、わたしも思います。

ところが、一日に何百回も「ありがとう」を唱えても、苦しい状況が好転しないという若い男性がいました。その若者が「なぜなのででしょう。唱える数がまだ少ないのでしょうか」と、わたしに問うので、「今ここで『ありがとう』を唱えてみてくれるかな」と言いました。

彼は、眉間にしわを寄せ、真剣な顔で「ありがとう」を早口で唱え始めました。

何とか事態を好転させたいと願う、彼の焦りと必死な思いが伝わってくる「ありがとう」です。「なるほど。これでは状況はよくならないな」と思いました。

古来、わが国では言霊(ことだま)、すなわち「言葉に宿っている不思議な霊威」が信じられてきました。わたしも言霊を感じ、認めていますが、これを発動させるのにはポイントがあるのです。

それは「未来を期待せず、過去を悔いず、今に在って、その言葉と一つになる」ということです。

先の若者は理想の未来に心を向けて、一所懸命に「ありがとう」を唱えていました。「ありがとう」を唱えながら、今に在って「ありがとう」という言葉と一つになってはいませんでした。それは、彼が眉間にしわを寄せていたことからも分かります。これは「困った」という言葉の言霊を発動させる形相です。

さらに言えば、早口であることより、言葉を噛みしめて、ゆっくりと唱えることが、言葉に宿っている霊威を発動させるのには好ましいのです。

現代は、非常にテンポの速い時代です。ポップミュージックのテンポは速すぎて、六十代のわたしは、歌うことは好きですが、ついていけません。しかもその曲のほとんどは、しばらくすると消え去り、新しい曲が次から次へと登場しています。

人々は今に在ることを味わうのではなく、もっと、もっとと先の幸せを求めて、物や時間を消費しています。

このような時代の風潮のなかで、言霊を真に発動させている人は少ないようです。古人は一つ一つの言葉を味わい、大切にし、丁寧に語り、言霊を発動させていた気がします。

前回の記事「自分の名前を大切にすると幸せになります」で、心を込めて丁寧に自分の名前を千回書くという方法を紹介しましたが、これも早い速度で、「心ここにあらず」といった状態で書いたのでは言霊は発動しません。

先の若者にわたしは、こうアドバイスしました。

「今、苦しいのであったら、その苦しみから目を背けず、今在る地点にとどまり、少しの時間その状況を味わう。そのあと、「これから、どんどんよくなる」と唱えて、この言葉と一つになる。そのあと「ありがとう」という言葉と一つになって、言葉を大切にする思いで、丁寧に「ありがとう」を唱えるといいよ。「大丈夫」とか「絶対なんとかなる」といった言葉と一つになるのもよいと思う。これが、言葉に宿っている不思議な霊威を発動されるポイントなんだ」

実は、以上のことは、お題目、南無妙法蓮華経を唱えるときのポイントでもあるのです。

「なんとか幸せにしてくださいと」と、現世利益を求めて、必死に南無妙法蓮華経を唱えまくってている人がいますが、これでは南無妙法蓮華経と一つになることはできません。

本当に南無妙法蓮華経を唱えるとはどのようなことなのか。このことについては、あらためて記事にしたいと思います。