体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

文化の対立を超える

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駅の構内で立ち食いそば屋をよく見かけますが、東京では立ち食いうどん屋は見かけません。そば屋ではうどんも食べられますが、関東圏では圧倒的にうどんよりそばを注文する人が多いようです。関東はそば文化圏、関西はうどん文化圏と言うことができましょう。また、味付けについても関東人は濃い味を好むのに対して関西人は薄味を好むという違いがあります。

関東人と関西人が結婚すると、「こんな薄味の味噌汁が飲めるか」という夫に「あなた、舌がおかしいんじゃないの。」と妻が反発し、家庭内戦争が勃発するということもあります。これは笑い話で済ますことができますが、国家間の戦争も異なった文化の対立から起こることが、しばしばあります。

そばとうどんに優劣はないということについては誰もが異論がないでしょう(なには、「うどんなんか食えるか」という江戸っ子もいるかもしれませんが)。

ですが「クモやネコや土も食材です」という話を聞いたら、「それはあり得ないでしょう。気持ち悪いことを言わないで」という人が多いのではないでしょうか。

実際にこれらは食材として用いられています。クモはパプアニューギニアでは足を取って食べ、ネコは中国南部では煮込んで調理されます。またフランス料理には土を煮込んだスープがあります。そういえば横浜中華街の薬局には、乾燥したゴキブリが大きなビンに入って置かれていました。

そばかうどんかと言った自国の地域間の食文化の違いについては容認できても、他国の食文化については否定的になってしまうということがあるようです。日本人がクジラを食べることを欧米人は批判しますが、なぜウシは食べてもよくてクジラはいけないのでしょうか。食文化の違いによるものでしょう。

異文化への偏見は食だけではありません。深刻なのは宗教間の対立です。多くの紛争は宗教文化の対立によって生じています

これから文化相対主義の重要性が増すことでしょう。文化相対主義とは「文化には優劣がなく、他者の習慣と価値観を尊重する」という考え方です。

仏教者は、仏教を信じない者は地獄に落ちるとは言いません。信仰する宗教を超えて、一切の衆生が仏に成れるというのが大乗仏教の根本精神です。

大乗仏教は寛容な宗教と言うことができます。キリスト教イスラム教といった一神教も信仰者から見れば、いい加減な宗教に映ることがあるかもしれませんが。。

或るお上人が、年末に檀家さんの家で読経をした折、帰り際「これを、お子さんに」と渡されたのは、サンタクロースの絵柄の長靴型の容器に入ったお菓子でした。お上人は「これは仏教徒にはふさわしくありません」と拒否することはなく、有り難く頂戴されました。

お寺のリビングにクリスマスツリーが飾られているのを見たこともあります(さすがに本堂にクリスマスツリーを飾る寺院はないと思いますが)。

ですが花祭りの日(お釈迦さまの誕生日)、お釈迦さまの誕生仏に甘茶を注ぎかけるキリスト教徒はいないでしょう。

仏教は、壁を作って「唯一神を信じ、この壁の中に生きる者のみが救われるのです」いう宗教ではありません。仏への道は万人に開かれています。そこに壁はありません。この仏教の本質を見失うことなく、仏教者として生きていきたいと思います。