体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

供養の国

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慎ましい生活をしているイギリス人留学生の男子が、花屋で手ごろな値段の花束を見つけました。その日はガールフレンドの誕生日で、彼はその花束を購入し、プレゼントしました。

花束を手渡された日本人のガールフレンドは、笑顔で「ありがとう」と言ったかというと・・・そうではなく、絶句しました。その花は、お仏壇にお供えする仏花であったのです。

街の花屋で日常、仏花をよく目にします。都心部でも仏壇のある家はかなりあるのでしょう。仏壇に花やお菓子、果物などを供え、手を合わせる風習は、現代でも受け継がれています。

仏壇は本来ご本尊を拝む場所であるのですが、ほとんどの人にその意識はないようです。手を合わせる対象はご本尊ではなく先祖です。

仏教が伝来する以前から、わが国にには祖霊(先祖の霊)信仰が根付いており、それが仏教と習合したといってよいでしょう。

先祖を敬い大切にして供養する文化は、キリスト教圏の国にはありません。

日本には、先祖だけではなく、不慮の死や自死を遂げた他者の霊を供養する風習もあります。事故で死者の出た道端や踏切の端に、ビンに花が生けられていることがありますが、外国人にはその意味が分からないでしょう。。

最近はペット霊堂なるものもあり、ペットも厚く供養されています。僧侶がベットのための読経をすることもあります。

供養、慰霊を大切にする文化の中でわたしたちは生きてきました。この国の文化の中で亡くなった霊は、死後供養をしてもらえないと寂しい思いをするようです。欧米諸国の霊には、供養をしてほしいという思いはありません。あの世にも文化は及んでいます。

「ビックリするような供養もあります」でさまざまな供養を紹介しましたが、わたしは、つくづくと、日本は「供養の国」であると感じます。

ただ、供養が慰霊ではなく祈願になっていることもあるようです。「ご先祖様、どうか孫が第一志望の大学に合格しますように」と仏壇の前で祈っている、おばあちゃんもいます。微分積分や英文法が分からないご先祖様は、困惑していることでしょう。

先祖にするのは感謝と慰霊で、祈願ではありません。このことを、そのような人にお伝えする必要もありそうです。

昨日、母の一周忌の供養をしました。一族で墓前に参拝して、祖父母から、両親、わたしたち夫婦、息子たち夫婦、そして孫たちへと受け継がれていく、いのちの流れを実感しました。

滞ることなく、清らかに、いのちの流れが続いていくために、供養を大切にしていきたいと思っている日本人は多いでしょう。現代においても、この国には供養の文化が息づいています。

この文化がこれからも残るのかどうか、それはわかりません。供養の形骸化が気になります。これから、あたらしい文化が生まれる可能性もあります。それが、物質中心のものではなく、霊性に富んだものであることを祈らずにはいられません。新たな霊性文化を形成する活動をしていきたいと、わたしは考えています。