体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

初詣と祈り

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多くの人々が、明治神宮成田山新勝寺といった大きな社寺に初詣に出かけます。

初詣は本来、居住する地域の氏神様に参拝するのが習わしですが、近代、鉄道会社が大きな社寺へと人々を誘導しはじめました。京浜急行電鉄大師線はその一例で、川崎大師平間寺に参拝客を呼び入れるために作られたといってよいようです。その結果、初詣は、信仰というよりも観光化していきました。

教え子の話では、近年、正月の社寺は、若者にとっては、神仏にお参りする場所ではなく、晴れ着を着て街の賑わいを楽しむため、仲間と待ち合わせをする場所になっているそうです。実際、社寺に赴きながら、神仏に手を合わせることをしない若者もいるそうで、びっくりです。

ほとんどの人は、社殿や仏殿の前で、手を合わせて諸願が成就することを祈りますが、小銭を賽銭箱に投げ入れてお願いすれば、願いが叶うと本気で思っているのでしょうか。缶コーヒーひとつを買うほどのお金で、病気が平癒したり、志望校に合格したりするというのは、かなり虫のいい話です。社寺にお参りすれば、所願が成就すると本気で信じている人は、ほとんどいないでしょう。

初詣は、家族が絆を深める行事や娯楽となっているようです。

初詣というのはその社寺にその年、初めて参拝することです。ですがその後、来年の正月まで、一切その神社を参拝することなく、初詣がその年の最終詣となっている人は多くいます。このような人にとっては初詣は、信仰ではなく、レジャーなのでしょう。

中には少数ですが、本気で神仏の実在を信じ、心願成就を祈っている人もいます。そのような人は、毎月神社に参拝し、家でも神仏をお祀りしています。

晦日みそか)参り」というものがあります。毎月、31日もしくは30日に氏神さまに参拝し、その月を無事に過ごせたことを感謝し、所願の成就を神さまに祈る行為です。雨であろうが雪であろうが毎月欠かさずお参りをすると、大きな霊験があると言われています。

わたしは、本気で神仏と向き合っています。神仏が実在するのは当たり前のことであると思っています。ですが神仏に自己の現世的な利益を祈ることはしません。

本日は要唱寺のZoom新年祝祷会(しんねんしゅくとうえ)でした。そこで世界の平和を祈願しましたが、個人的な祈りはしませんでした。

それよりも大切なのは、自己の内なる力に目覚めていくことであると考えています。この目覚めの過程で、神仏の加護を感じることはあります。本日の祝祷会で唱題をしていますと、唱題の声がおのずと力強く大音声(だいおんじょう)となり、神仏との響き合いを実感しました。

現世利益の祈りはしせんが、わたしは、諸仏、諸天善神に、ご加護いただいていることについて、日々深く感謝しています。

仏道の目的は、みずからが仏であることに目覚めていくことにあります。この過程を真摯に歩んでいますと、祈らずとも神仏は、加護をしてくださいます。