1月11日から12日にかけて、一泊二日で身延山に参詣してきました。中学一年生の男の子、ガクト(仮名)も一緒です。11日から中学校は始まりますが、彼は、両親の承諾を得て、わたしにくっついてきました。
ガクトは、わたしの教え子の息子です。ですが身延で出会った人たちは、ガクトを、わたしの孫だと勘違いしていました。
ガクトは仏縁のある子のようです。六十歳を越えた坊主と二人で寺に詣でたいと言う中学生は、普通はいないでしょう。ですが、ガクトは、学校がある日だけれど、わたしと一緒に身延に行きたいと両親に懇願したのです。
彼は、修行をしたかったようで、「身延山に行ったら水を被るんですか」などと、わたしに質問しました。水を被ることはしませんでしたが、彼にとってはよい修行になったようです。
真摯な気持ちで身延山に詣でますと、神仏のご加護を受けることを如実に感じます。今回もマイナスに思えた事柄が、みなプラスへと転じていく体験をしました。
晴天を願っていましたが、出発の日の朝五時半、玄関のドアを開けると小雨が降っていました。沼津駅では、ガクトと「千と千尋の神隠し」に出てくる「カオナシ」について語り合っていたら、うっかりして乗り換えの電車を逃してしまいました。一本電車を逃すと到着するのが一時間ほど遅れてしまいます。
身延山に着くと、かなり雨が降っており、到着も遅れたので、その日予定していた、久遠寺・奥の院への登山を中止しました。予定通り到着していたら、登山していたでしょう。身延山でバスを降りる直前までは、雨はぱらつく程度であったのです。
この日、登山しないことで、却ってよい時間を過ごすことができました。雨の中、御廟所(日蓮聖人の墓所)に参詣し、しばし読経、唱題をしました。わたしたち二人以外だれもいず、雨で清まった澄んだ空気の中で静謐な時を味わいました。その後、本堂や祖師堂に赴きましたが、雨に心が洗われるようで、雨が有り難く感じられました。ですが雨の中、登山をしていたら、びしょ濡れになって散々な目に遭っていたかもしれません。電車をうっかりして逃したことも有り難かったです。
境内のお守り等を授与する場所を覗いた際、ガクトは学業成就か身体健全のお守りを欲しがるかと思ったら、それには見向きもせず、龍が描かれた栞(しおり)が欲しいと言います。彼の旅の費用は親から預かっていたので、わたしはそれを購入して彼に渡しました。ガクトは小さいころから龍神が好きだったと言います。久遠寺の宝物館では、本堂の黒龍の天井画がプリントされたクリアファイルを買ってやりました。ガクトは嬉しそうでした。
諸堂を参拝した後、門前町の仏具店に立ち寄り、店の奥さんと話をしていると、ガクトが掌に載る小さな観音経の経本を持ってきました。それをお守りとして持っていたいというのです。一般のお守りにはまったく関心を示さず、小さな観音経をお守りにしたいというガクトを、おもしろい子だと思いました。わたしは、彼にこう言いました。
「スマホで龍上(りゅうじょう)観音とか龍頭(りゅうず)観音というのを調べてごらん。龍に乗った観音さまが出てくるはずだ。観音さまは龍神と深い関係があるんだぞ。どうやらガクトは龍と縁があるようだね」
小さな観音経を購入すると、店の人は、それががピッタリ入る布袋をプレゼントしてくれました。
その日の夜、わたしは斉藤大法上人の指導の下、Zoomで唱題の修行をする予定でした。ところが、山奥のためか持参したポケットWi-Fiのルーターが使用できず、Zoom修行ををあきらめて、ガクトとお題目を唱え、彼に観音経の読み方を指導しました。そのあとで気づいたのですが、宿泊した宿坊のWi-Fiを利用すれば、Zoomに接続できたのでした。
結果的にはガクトに観音さまや龍神の話もでき、それはそれで充実した夜の時間を過ごすことができました。ガクトは真剣に観音経を読む練習をしていました。不思議な子です。一か月もすれば、彼は観音経をスラスラと読誦できる中学一年生になっていることでしょう。
冒頭の一枚目の写真は、菩提梯(ぼだいてい)と呼ばれる久遠寺の階段で、この上に諸堂が並んでいます。二枚目の写真は、宿泊した宿坊、岸之坊の前のわたしです。宿坊というのは、参拝客が宿泊できるお寺です。身延山には、久遠寺を支える32の支院(お寺)があり、その内の20のお寺が宿坊となっています。
二日目は快晴となりましたが、この日のことは、次の記事に記します。