体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

小さな弟子と身延に参拝しました その2

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身延山での二日目は、昨日とは打って変わって快晴でした。朝五時半に宿坊を出て、六時から始まる久遠寺の朝勤(ちょうごん)に向かいました。都心に住んでいるガクトは、星がきれいに見えることに感動していました。

広い久遠寺の本堂には一切、火の気がありません。厳しい寒さの中に座して、読経、唱題をすると、清々しさを感じました。ガクトも神妙に手を合わせていました。初めて聞く大太鼓の鳴り響く音は、驚きであったようです。

朝勤を終え、宿坊に戻って朝食を済ませると、身延山の山頂にある奥の院・思親閣に向かって、本堂西側の山道を登り始めました。山頂までロープウェイで行くこともできますが、それでは修行になりません。

山頂までは、寄り道をしなければ、歩いて約3時間です。わたしたちは、山中で亡くなった人の供養塔など、さまざまな場所で合掌、唱題しながら登りました。

一枚目の写真は、道中にある高座石の前のわたしです。この石の上で説法する日蓮聖人の前に、身延山の近くにそびえる七面山に棲む龍神七面大明神が妙齢の女性となって示現したという伝説があります。ここでもわたしとガクトは唱題し、観音経を上げました。

二枚目の写真は、山中にある松樹庵です。このお寺は「天空の寺」とも呼ばれ、遥か下に久遠寺の諸堂を眺めることができます。まことに素晴らしい眺望です。

この寺の御住職、富田智健(とみた ちけん)上人は、わたしと同じく在家出身の僧侶で話が合い、一時間ほど話し込んでしまいました。富田師が住職となるまでは、このお寺は、ほとんど無住に近い状態で、かなり傷んでいました。それを富田師が蘇らせたのですが、その過程で、たくさんの不思議な導きがあったとのことで、そのお話も伺いました。

富田師がこのお寺に入ったころ、御宝前に安置されている日蓮聖人像のお顔は大変に怖いものであったそうです。それが、今は大変に柔和なお顔をしていらっしゃいます。「お顔の変化」は、富田住職の思い込みではありません。周囲の人たちも異口同音に「怖かったお顔が優しくなった」と言っているということです。

その理由について富田師は「毎日、何時間もお経とお題目を上げたからでしょう」と言われます。富田師の真心が、お祖師さま(日蓮聖人)の尊像のみたまに伝わり、師は、神仏から住職として認められたのだと思います。

ガクトは、このお寺で、わたしと共に唱題したあと、一人で唱題をしました。世俗の欲に塗(まみ)れていない、無心の少年の唱題は、澄んで、きれいなものでした。

ガクトにとって、このお寺との出会いは、大変に意義深いものとなりました。龍神が好きなガクトに、前日、御廟所(日蓮聖人の墓所)の前で、わたしは「お山に登ったら龍神さんとの縁が深まるんじゃないかな」と言いました(ふと、そんな思いが涌いたのです)が、それが、現実のものとなりました。

わたしは、まったく知らなかったのですが、松樹庵の下の谷間には龍神が棲んでいると言われており、霊的な感覚のある人が、その上空で龍が舞っているのを見ることもあるといいます。近々松樹庵には白龍神の天井画が奉納されることになっていて、本年5月28日に一般公開されるとのことです。

龍神さんの天井画について、思い立ったものの、富田師には依頼する知り合いの絵師がいませんでした。ある日、お堂の前で富田師は、お堂を改修した、友人でもある大工さんに「おまえに龍神を描いてほしい」と頼みました。ですが、友人は「俺は大工だから絵は描けない。住職である、おまえが描けばよいではないかと」言います。ちなみに富田師は絵が下手だそうです。

二人が言い合っているところに、突然、見知らぬ女性がやってきて、「どうかなさったのですか」と訊きました。富田師が「実は・・・」と話すと、何と女性は絵師で、寺院の天井画を描きたいという切なる願いを持っているということでした。二人は、驚きのあまり絶句しました。

天井に描かれる龍神は最初は黒龍の予定であったのですが、これも本当に不思議な導きがあって白龍となりました。このお話は、またいずれ詳しく紹介できればと思います。

ガクトは松樹庵のある場所が大変に気に入り、白龍神さんに会いに、またここにに来たいと言っていました。きっとそれは実現するでしょう。

松樹庵を出てしばらく歩いてから、わたしたちは、帝釈天(たいしゃくてん)をお祀りする感井坊(かんせいぼう)に着き、お題目を上げ、さらに歩き続けて奥の院に到着しました。その南展望台からは、雪を被った美しい富士山を臨むこともできました。下山も徒歩でと思っていたのですが、時間がなく、最終のロープウェイで下りることにしました。

ガクトは帰路の電車で寝ていました。かなり疲れたようです。学校を休んでの身延山参拝でしたが、彼のたましいの成長のために、連れてきてよかったと思いました。

わたしにとっては、神仏のご加護を感じ、僧侶としての弘教の思いを新たにする、よき参詣となりました。