体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

お題目の真髄 ー 嵐の中に微笑んで立つ ー

なぜお題目を唱えるのか。言うまでもなく、それは幸せになるためです。では幸せとは何なのでしょうか。

親しくさせていただいている、お題目の信心をしている老婦人は「お題目って本当にありがたいのよ」といつも仰います。柔和で人々幸せを祈っている素敵な女性です。

彼女の語る、お題目の信心で幸せになった人の実例を幾つかあげてみましょう。

貧困に喘(あえ)ぐ中、普通ではあり得ないような救いの手が差し伸べられて、豊かで穏やかに暮らせるようになった。

重篤な病に冒されたものの、医師も驚くような奇跡的な回復を遂げることができた。

諍(いさか)いが絶えず、不和であった家族が一つにまとまった。

この世における不幸は、大きく括(くく)れば貧・病・争の三つにまとめられます。この老婦人に限らず、わたしの周囲でお題目の信心を深めている方たちは、この三つの苦しみから救われたことを熱心に語られます。

お題目の信心をしている人だけではありません。わたしは、お不動様の信仰をしている人からも観音様の信仰をしている人からも、その信仰で貧・病・争の苦しみから救われたという体験を聞いたことがあります。

わたしが知っている信心に励んでいる人たちは、どなたも誠実で、他者に対しての慈しみや、みほとけへの感謝を抱いている人たちです。どの人たちも心底、信仰によって救われたと実感されているようです。

わたし自身、法華経に帰依する前、お念仏を称えたり、お不動さまの真言を唱えたりすることで、苦しみから救われた体験を持っています。お題目以外の信心をしている人の中にも、頭が下がるような敬虔な生活をしている方がありました。

では、なぜわたしは、それまでの信仰を離れてお題目を唱えることを選んだのか。それは唱題の道が釈尊の心に適った真の道であると確信したからです。

釈尊は、一国の王子として生まれて大切に養育され、貧・病・争とはまったく縁のない環境で育ちました。夏季、雨期、冬季のそれぞれに快適に過ごすことのできるる三つの宮殿を持っていたとも言われています。ですが、釈尊はその誰もが羨望するような環境を捨て去り、王である父の期待を裏切って、妻子を捨てて修行の旅に出ます。

釈尊が求めた幸福は、外界の環境に一切、左右されることのない幸福ででした。すばらしい家を建てて幸福感を得ても、一瞬のうちにその家が津波で流されてしまうこともあります。外界の何かに依存した幸せは、寄る辺のないものです。釈尊の求めた幸福は、貧・病・争いのいずれにも冒されることのない絶対的な幸福でした。

この幸福を端的に表した日蓮聖人の言葉があります。それは「娑婆即寂光」です。

「娑婆」とは、嵐が吹き荒れることが止むことのないこの世です。自然災害の嵐だけではありません。この世には疫病の蔓延や経済崩壊という嵐もあれば紛争、戦争といった嵐が吹き荒れることもあります。その嵐の中で、自身も家族も吹き飛ばされそうになることもあります。

日蓮聖人はこのような「娑婆」が「寂光」、すなわち美しい仏の世界だと言われているのです。

わたしは「娑婆即寂光」という言葉に触れる度に、次のような日蓮聖人の姿が目に浮かびます。

暴風で木の枝が折れて吹き飛び、横殴りに降る激しい雨の中。大地にしっかりと足をつけて、微笑んで前方を見つめている一人の僧。

この姿は、『法華経』と日蓮聖人を知ったばかりのころ、理解し難いものでした。わたしにとっては穏やかな陽射しの中に在ることが幸せで、嵐は厭うべきものでした。

貧・病・争がなくなることを願う信仰、嵐が収まることを祈る信仰を、日蓮聖人は決して否定はされていません。「家族が健康で仲良く暮らせますように」とお題目を唱える信心があってもよいと思います。

ですが日蓮聖人は、そこにお題目の信心の真髄があるとは言われていません。「娑婆即寂光」こそがお題目の真髄です。このことを、わたしは『法華経を』を学ぶ道程(みちのり)で徐々に理解し始めたのですが、今思えば、それは頭による理解で、観念的なものでした。

この言葉を身体(からだ)で受け止め、それが身に染みるようになったのは、令和元年の12月、斉藤大法上人のもとで唱題の修行を始めてからのことです。

次回はこのことについて記すことにいたします。