体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

新しいかたちのグリーフケア ー 死後も人は生きています ー(1)

大切な人を亡くした深い悲しみ。それを癒すことをグリーフケアといいます。「グリーフ」は「悲嘆」を意味する言葉です。

昔はこの仕事を僧侶が担ってきたのですが、特に都会では菩提寺を持たない人も増えてきて、葬儀後、僧侶がグリーフケアをすることは減っています。

そのような状況の中で、一般社団法人・日本グリーフケア協会が設立され、グリーフケアアドバイザーという資格が生まれました。

日本グリーフケア協会のHPによると、グリーフケアアドバイザーの認定講座では、日本人の死別悲嘆の反応と悲しみを癒すアプローチ法について学び、身につけることを重点的に学習するとのことです。

時代がこのようなアドバイザーを求めているのでしょう。

今、僧侶の中にもグリーフケアを重視していこうという動きがあるようです。ただ二十代の若いお坊さんがこの活動をするのは、なかなか難しいかもしれません。それなりの年齢の僧侶でないと、遺族から信頼してもらえない可能性があります。我が子を亡くした親の悲嘆を、独身の若い僧侶が癒すのは困難である気がします。

そういった意味では、還暦をとっくに過ぎたわたしには適した活動かもしれません。わたしには自死した教え子の両親に寄り添った経験もあります。

実際、わたしはこれからグリーフケア活動をしようと考えているのですが、それは従来のグリーフケアとは大きく異なったものです。その違いは「死後の生」を前提としているという点にあります。

グリーフケアアドバイザー講座は、「死後も人の意識が存続すること」を前提とはしていません。多くの人が「死とは夢を見ない永遠の眠りに就くことである」と考えている社会にあって、これは当然のことです。

わが国では、僧侶も、宗派によってその比率は異なりますが、「死後の生肯定派」よりも「永眠派」の方が多数派です。

いっぽうでは近年、死後の個性の存続を認める人が増えてきているのも事実です。これは、ベストセラーとなった東大名誉教授の矢作直樹氏の著作『人は死なない』などの影響もあるのでしょう。

現代の日本では、高齢者よりも、むしろ若い世代の方が「死後の生」を認めているという調査結果があります。わたしは、教員時代、霊を感じる若い教員や生徒の相談に乗ったことがあります(彼らは決して精神や肉体を病んでいるわけではありませんでた)。

わたし自身は、2019年に要唱寺住職、斉藤大法上人のもとで唱題修行をはじめてから、唱題時に、死後も存続している意識、たましいを実感するようになっていきました。

要唱寺のHPには次のように記されています。

 

単なる儀式ではなく、

ほんものの

”たましいの供養”を

 

近年、葬儀など人の死後やたましいの事が、まるでベルトコンベアーの流れ作業のように扱われ、じっくり亡き方を思い、心を込めて祈る、ということが失われつつあり、そのために亡きたましいも残された人々の心も癒されないままに取り残されている感があるように思います。

私は、僧侶になってもしばらくは、以下のように考えていました。

そもそも ”霊は、あるのか?”

“無いとすれば、なぜ葬儀や法事をするのか? 無いのなら法事をする必要は、ないのではないか”
“あるとすれば、通常行われている法事などでほんとうに『霊』に届くような供養ができているのか?”
“どうあれば、ほんとうに『霊』が、成仏するのか?”
“以上のようなことが、わからないままに法事をすることは、虚しい”

これらの事を明らかにしたいと思い、修行を重ねた結果、

亡き御霊の状態が体現されるようになり、
読経や祈りを通して御霊が、清らかでとらわれのない意識へと変化し、
成仏を象徴する蓮華台に乗り浄土へとお導きすることが出来るようになりました。
さらに参加された皆様方の心からの祈りが、亡き方にどのように届いているかもわかるようになりました。

以来、要唱寺 住職 斉藤大法は、以上のような供養を行っています。

ただし、それは私の個人的な念力などによるのではありません。仏法(ぶつぽう)が持っている大いなる力によるのです。 そのことを通して、亡き方のみならず、祈る人も共に癒され、深い気づきと安らぎを得ることが出来る。それが、わたしが目指し行う供養です。

 

この大法師の「たましいの供養」を取り入れたグリーフケアを、わたしは行いたいと考えています。

もとより、わたしの唱題による祈りは未熟です。大法師のように、亡き御霊の状態が体現されるようになっているわけではありません。ですが唱題による祈りが「霊」に届いていることは、はっきりと実感できるようになっています。

有り難いことに、わが修行の師匠、大法上人は、わたしが「たましいの供養」を取り入れてグリーフケアを実践することをお許しくださいました。

このグリーフケアでは、供養に参加した人も僧侶(わたし)と共に、たましいの浄化を祈ります。このことにより、参加者は深く癒されて気づきを得ます。そして祈られたたましいも癒されて浄化していくのです。

この世を生きるたましいとあの世のたましいを共に癒していくのが、これからわたしが行っていこうと考えているグリーフケアです。

僧侶は、葬儀後の法要で「死んでお浄土へ往く」という法話をすることがあります。ですがこれは、遺族を慰めるための単なるストーリー(物語)であることが多いようです。

わたしが大法上人の指導のもとでたましいの供養をさせていただいていて、「お浄土」と呼ばれる世界に赴いたと感じるたましいは、まだありません。

2021年の暮れに亡くなった母は、大法師とわたしの供養で落ち着きを得て、今、穏やかな世界にいることを感じます。ですがそこは御仏(みほとけ)の世界、お浄土ではありません。

死後もたましいは修行の旅を続けています。年忌法要は、その先祖の浄化、向上を祈って営むものです。なかには浄化できず、暗いところでうずくまっているような、たましいもあります。僧侶として、たましいの供養の大切さを痛感しています。

この世の人と、あの世のたましいが同時に癒され、浄化されて深い平安を得る。そのような、今までになかったグリーフケアをしていくつもりです。

関心のある方はお問合せください。