遥かなる昔から人々は平和を祈ってきました。ですがいまだに世界では戦乱が続き、世界平和は樹立されていません
戦乱でロシア人によって夫が殺されたウクライナ人の女性が、ロシア人を撃ち殺したいと語ったという話を聞きました。この世に渦巻いている、怒りや憎しみは消えることがありません。
僧侶として、わたしは世界平和を祈っていますが、そのことを知った妻から、こう言われました。
「家庭を平和にできない僧侶が世界平和を祈るなんて、お笑いだわ」。
たしかに世界平和を祈った後、妻と口論し、家庭内紛争が勃発することもあります。
国家間の紛争のみならず、家庭内紛争も、今も昔も世界各地で勃発しています。妻から「お笑いだわ」と言われて、国と国との紛争も妻と夫との紛争も、その原因の本質は同一なのではないかと思い至りました。その原因の本質とは、元品(がんぽん)の無明(むみょう)です。
無明とは深い煩悩。最も根源的な無明を元品の無明と言います。自己と他者を離別したものと捉え、競い合ったり優劣をつけたがったりするエゴ(自我)の根本にあるのがこの無明です。エゴは馬鹿にされれば傷つき、怒り、常に他者より優位に立ちたがります。他者の苦しみには、ほとんど関心がありません。
平和運動をすることは大切でしょう。わたしは世界平和を祈り続けていきたいと思っています。ですが、わたしたちが元品の無明の闇を断ち切らない限り、どんなに平和運動を展開し、平和を祈っても、世界に真の平和は訪れないでしょう。
真実の南無妙法蓮華経を唱える唱題修行は、元品の無明を断破するためにあります。元品の無明を断破する唱題は、個人的な癒しと平安の唱題の先にあるものです。それは、エゴを超えた仏性への目覚めの唱題と呼んでもよいでしょう。
何人かはわかりませんが、一定数の人がこの目覚めの唱題をし、日常、お題目を唱えていない時にも唱題モードに在るとき、世界は、政治的な駆け引きを超えて、本当の平和に向かって変容していくことでしょう。
現在のわたしは、未熟ながらも覚めの唱題を唱えさせていただいていますが、唱題修行を終えると、自我中心の日常モードに戻ってしまいやすい状態に在ります。
目覚めの唱題修行に邁進し、まずは家庭平和を樹立したいと思っています。