体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

自己とあの世の魂の供養

「供養」という言葉を知らない人はいないでしょう。ですが「供養って何?」と訊かれて、明確に説明できる人は少ないのではないでしょうか。供養とは仏さまへの帰依と感謝の思いを表す行為です。

供養には、利(り)供養、敬(きょう)供養 行(ぎょう)供養の三種類あります。

利供養は、仏さまにお香、お花、食べ物や飲み物を捧げる供養、敬供養は、仏さまを敬い讃嘆する供養です。読経するのは敬供養です。行供養はその教えを受持して実際に行うことです。

供養とは本来、このようなものなのですが、わが国では、亡き人の死後の平安を祈ることを供養と言っています。それは慰霊と言い換えてもよいものです。

さて、南無妙法蓮華経を唱える唱題ですが、わたしは唱題することによって、あの世の霊魂(みたま)が囚われから解放されて、清らかな世界へと上がっていくことを実感しています。

葬儀、法要で遺族と僧侶が心を込めて唱題することは、わたしは、観念的にではなく、現実的に霊にとって癒し、供養となるものであると感じています。

と同時に唱題は唱えるこの世の人をも癒すものであると実感しています。唱題は、わたし自身への癒し、供養となるものでもあると思っています。

この癒しの唱題の先にあるものは、自らが仏であることへの目覚めの唱題です。

この世とあの世のたましいを供養し、目覚めへと至る南無妙法蓮華経。そのような南無妙法蓮華経を唱えていきたいと思います。