体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

教員をしながら仏道修行をしていました


高校の国語科教員をしていたころ、宮沢賢治の詩を教えていた若い男性教員から「『法華経』について教えてください」と言われたことがあります。賢治と『法華経』は切っても切れない関係にあります。現代文学をそうですが、特に日本の古典文学と仏教は深い関係にあります。

勤務校では十数年間にわたって、毎年、一般市民を対象とした公開講座で「教養としての仏教」を講じてきました。勤務校は公立高校でしたが「教養としての」という語を冠したので、教育委員会から問題なく受け入れられました。

この講座では、僧衣を知ってもらうため、袈裟を着けて講義をしたこともあります。公立高校で、衣を着て教壇に立っのは、わたしだけかもしれません。

仏門に入って教員をしていたので、「二足のわらじを履いているのですね」と言われたことが、よくありました。ですが、わたしについて、この言葉を使うのは適切ではないかもしれません。

「二足のわらじ」は、ばくち打ちが、同時に別の場所で、ばくち打ちを取り締まる仕事をしていたことから生まれた言葉。本来は、両立することができない仕事を掛け持ちすることを意味しています。

わたしの場合は、仏道修行と教員の仕事は、双方を補い合ってきました。今、僧侶として活動をするにあたって、教員経験は大いに役立っています。

しかし、生徒の前で「出家しています」と言うのは、なるべく避けるようにしてきました。それは、どのクラスにも必ずといってよいほど、信徒数、八百万世帯を公称する仏教系大新宗教教団の二世がいたからです。この教団は、伝統仏教邪教視していて、保護者面談の際など、わたしが仏門に入っていることが分ると、信頼を得られずに支障をきたすことがありました(担任をしていたクラスには、キリスト教新宗教の二世もいました)。

逆に、大新宗教の熱心な会員である保護者(母親)から信頼を得て、その教団に入会しないかと熱心に勧誘され、困り果てたこともあります。

釈尊の教えは、一切の執着、囚われからの解放を説くものでした。仏教者が自己の信仰を貫くのはよいとして、それを他者に強要したり、自己の信仰以外の信仰をしている人を見下したりするのは、釈尊の教えから外れている気がします。

こうなってしまったのは、目覚めの道であった釈尊の教えが、他者依存の救済宗教に変貌してしまったからなのではないかと思います。このことは、また別の記事に記すつもりです。