今生を生きる
「来世があります」。そう言うと、こんな疑問が寄せられることがあります。
,「来世があるという前提で生きていると、困難に出会った時、「来世で頑張ればいいや」と思って、一所懸命生きることから逃避してしまうことになりませんか」。
実はそうではありません。仏教の因果の理(ことわり)から言うと、今生で何を為したかで次の生が決まります。
学生が「社会人になってから頑張ればいいや」といって学生時代を怠惰に過ごして、社会人としての良きスタートを切れるでしょうか。それと同様です。
来世があるとしても、この時代にこの名前で生きた人生は一回限り。二度と同じ人生を歩むことはできません。そういった意味でも、今生を慈しんで、精一杯生きることは大切でしょう。
日蓮聖人は、弟子、信徒に次のような意味の注意をうながしています。
「今生に生を受けながら、つまらないことに執着して、大切なことを忘れているのではありませんか」
大切なことというのは「死んだ後もある」ということです。
わたし自身、唱題をしているときを除いて、かなりつまらないことに執着しています。妻に言われた一言が気にくわなくて数時間、不機嫌でいたりします。
日常生活の場でも唱題モードでいられるよう精進あるのみ。そう思っています。