体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

世界は深遠で豊かだなあ

知人からこんな話を聞きました。

旅先でホテルに宿泊し、部屋に入ると、部屋の片隅に何かが、うずくまっている気配がするんです。暑い日であったのに寒気がしました。どうしてもその部屋で眠る気がしなくて・・・。ホテルのフロントでそう伝えると、ホテルマンは、ただ「承知しました」とだけ言って、すんなり部屋を替えてくれました。

あくまでも憶測ですが、過去にその部屋で死者が出たといったことがあって、ホテルマンは、それを隠そうとしていたのではないでしょうか。

この知人は、霊的なものをよく感じることのある人です。

別の知人ですが、臭くて地下鉄に乗れないという人がいます。嗅覚が鋭敏すぎて、普通の人が知覚しない臭いまで感じてしまうのだといいます。

霊的なものをよく感じる、霊的な感受性が鋭敏な人というのも、いるのではないかと思います。

一方では「幽霊をよく見てみたら枯れススキ」ということで、霊などというのは勘違いや思い込みにすぎないという人がいます。霊というのは、脳が作り出した幻覚であるという人もいます。

最近の『週刊朝日』に「最新科学が解き明かす『大切な人の霊が見える』理由」という記事が掲載されていました。

この記事によると、医学の用語に「悲嘆幻覚」というものがあるそうです。

亡くなった家族の気配を身近に感じる。その姿を見たり、声が聞こえたりすることがある。

このようなことは、大切な人を亡くした時に表れる「悲嘆反応」の一つと考えられており、これを「悲嘆幻覚」と呼ぶのだそうです。

ですが、霊が見えるのを、「悲嘆幻覚」であると一言で片づけてしまうことできません。冒頭に紹介したような「霊的な感受性のある人」は、赤の他人の霊を感じることもあります。

獨協医科大学病院の脳神経内科医、駒ヶ嶺朋子さんは、「『悲嘆幻覚』が起きる仕組みは解明がそれほど進んでおらず、その本質が幻覚であるのかどうかもわかっていません」と言います。

霊が見えるのは幻覚であると、科学者はさまざまな見解を述べていますが、そのすべては仮説。霊は存在しないという科学的な証明がなされているわけではありません。

わたしは、教員時代、霊を感じる生徒や教育者と数多く出会ってきました。そのような人のほとんどは「おかしい人」と思われるのを危惧して、霊体験を語ることを控えています。わたしには、当時から仏教の世界にいたので、「理解してくれるのでは」と思って打ち明けてくれたようです。

わたし自身、仏道修行をしていく中で、霊をとらえる感受性が深まってきているようです。

近年は「霊魂は実在する」という仮説を支持する科学者も増えてきました。これは霊の実在を前提として供養をしているわたしににとっては嬉しいことです。

深層心理学者、ユングの提唱した無意識についての理論も仮説で、科学的にその実在が証明されているわけではありません。ですがユングの理論にもとづいたカウンセリングが行われ、効果をあげているのは事実です。

これから「死後の生」などというのは迷信、非科学的だと見なす潮流が大きく変化していく予感がします。「死後の生」を感じて生きている若い人たちが増えているという統計もあります。

この記事のイラストは龍神さん。仏教では仏法守護の善神として位置づけられています(なかには、仏法に反した次元の低い龍もいると言われていますが)。龍神のような自然霊の存在を感受する若者も、わたしの周囲にいます。また、わたしもその存在を感じることがあります。

目に見えない、物質次元を超えた存在たちと共に生きている。そう、わたしは感じながら仏道を歩んでいます。「世界は深遠で豊かだなあ」。そう、しみじみと思わずにはいられません。