体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

死後も人は生き続けます。しかし・・・

現代の多くの知識人は、死後は無となることを前提として人生を語っています。日本の仏教界には、この前提で法を説いている僧侶がたくさんいます。本気で死後の生を信じている僧侶は、果たしてどれくらいいるのでしょうか。

故人ですが、曹洞宗大学林(現駒澤大学)で教授を務めたこともある原田祖岳(はらだ・そがく)老師(昭和36年92歳で遷化)は、死後の生命の持続を正面から説いた、数少ない僧侶です。師はつぎのように言っています。

実はわれわれ一般人の頭に死ということは、われわれが死ねばれわれの霊肉は根本的に雲散霧消してしまうと思っている人が大部分であろう。これを専門語では断見という。あるいは少数の人は死ねば肉体は亡びるが、霊魂はなくならずに宿がえすると思っている。これを常見というが、事実はそのいずれでもないということが、悟ればはっきりとわかるのである。・・・一般人はただ生命は永久不滅のものなることを信ずればよろしい。

祖岳老師は「悟ればはっきりとわかる」と言われていますが、わたしは、唱題で三昧(深い瞑想状態)に入ることができるようになってから、死後も生命が持続することがわかるようになりました。祖岳師が言われるように「わたしのたましいが、死後しばらくして、まるごと違う人間として生まれ変わる」といった単純なものでもないということも感じています。

肉体亡き後も、肉体の苦しみから脱することができなかったり(たとえば、胃がんで死んだたましいは、死後も胃の苦しみで悶えていることがあります)、この世的な執着(地位欲、色欲、財欲など)を簡単に拭い去ることができないで苦しんでいる、たましいもあります。供養はそのようなたましいの救済作業です。

死後「わたし」の全てが消え去ってしまうことを恐れている人にとっては、肉体が消えても存続する意識があるというのは朗報でしょう。ですが一概に朗報とはなり得ないということを知っておいていただきたいと思います。

何らかの思い込みや執着を持ってあの世に赴くと、生前の苦しみは、なお持続し、「無となって消えた方が楽だったかもしれない」ということもあるのです。

死後どうなるのかについて、簡単に説明することはできませんが、いのちが持続することは間違いないと、わたしは確信しています。

死後、迷うことのないように、この世に在るうちから仏道修行をしておくことをお勧めします。わたし行っている仏道修行は唱題行です。これは、ひたすら南無妙法蓮華経を唱えるだけのシンプルな修行ですが、実は大変に奥深い修行です。

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