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お題目のすすめ ー 13歳からの南無妙法蓮華経 ー・その1

日本の若者は自己肯定感が低いと言われています。日本人の若者の死因のトップは自死であるという話を聞いたこともあります。

仏教は高齢者のためのもの。そのようなイメージを持っている人は少なくないと思す。ですが、わたしは『法華経』は何よりも若者に親しんでほしい経典だと思っています。お題目(南無妙法蓮華経)は、若者を勇気づけ元気にしてくれるというのが、わたしの実感です。

ということで、若者に元気になってほしいという思いから「お題目のすすめ ―13歳からの南無妙法蓮華経ー」という小さな本を書くことを思い立ちました。

若者に限らず、元気をなくしているすべての世代の方に読んでいただけたらとも思っています。

今日からこのブログで、少しずつ文章をアップして、最終的に小さな本を完成できればと考えています。ご感想などお聞かせいただけましたら嬉しいです。

 

               お題目のすすめ

                  ー13歳からの南無妙法蓮華経

                 はじめに

 三八年間、都立高校で国語を教えるかたわら仏教を学び、退職後、身延山での修行を経て、私は正式に僧侶として活動を始めました。63歳からの新たな出発でした。

 法華経、そして日蓮聖人と出会わなければ、教員生活をまっとうできなかった。そう私は痛感しています。

 校庭を歩いていると校舎の三階からイスが降ってくる学校で教えていたこともあります。困難な状況の中で、私を支えてくれたのは南無妙法蓮華経でした。

 さて、お題目(南無妙法蓮華経)を唱える方は多くいますが、お題目を唱えることの真の意義を理解している方は少ないようです。

「『日蓮聖人がお唱えになるお題目と私たちが唱えるお題目の功徳にはどの程度の差があるのでしょうか』とのご質問ですが、そこに優劣の差はありません。愚者が灯す火と智者が灯す火に優劣の差別がないのと同様です。ただし、法華経の心に背いて唱えれば、そこに歴然とした差別が生じるのです」

そう日蓮聖人は言われます。

 お題目によって救われた体験を踏まえ、法華経の心に添って日蓮聖人の遺されたお言葉に依り、「南無妙法蓮華経」とは何かをお伝えしたいと思います。

 本文中の日蓮聖人の言葉は、分かりやすさを優先して、すべて現代語に意訳させていただきました(原文と出典名は巻末に載せました)。

「口先で唱えるだけで実行力を伴わない主張」を「お題目」と言うことがありますが、これは「お題目」の誤った使い方です。日蓮聖人の説かれたお題目は、決して口先で唱えるだけのものではありません(この誤用がまかり通っているのは、口先だけでお題目を唱えている人が多いからなのかもしれませんね)。

 お題目は気休めで唱えるものではありません。本当のお題目には、人を変革し、世界に平和をもたらす力があります。本書を読まれたあと、本気でお題目を唱えれば、あなたもきっとこのことを実感されるはずです。

 一人でも多くの方に日蓮聖人のお説きになったお題目を唱えていただきたい。それが私の切なる願いです。

 本文は、中学生の少年の問いに私が答えるという形になっています。仏教は年配者のものというイメージがありますが、私は、法華経は最高の教育書であると思っています。

 本書を手にしてくださったあなたにお願いしたいことがあります。本書をお読みになったなら、お子さんやお孫さん、若い人たちにも南無妙法蓮華経の心をお伝えいただけないでしょうか。若者に本書手渡していただけましたら望外の幸せです。

 本文中に登場する中学生、ケンタは実在する人物ではありません。ですがモデルとなった少年はいます。私は彼と会うと、いっしょにお題目を唱えています。

 お題目は、世代を超えて、人を勇気づけ元気にしてくれます。南無妙法蓮華経を唱えることによって、あなたのいのちの輝きが増し、人生が大きく開かれていくことを願ってやみません。