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お題目のすすめ ー13歳からの南無妙法蓮華経ー ・その4

「お題目のすすめ ー13歳からの南無妙法蓮華経ー」というタイトルは長いので、これから、文中では「13歳からの南無妙法蓮華経」と、つづめて表記することにします。

自己肯定感が持てない多くの若者に『法華経』、お題目を知ってもらい、元気になってほしいというのが、わたしの願いです。

そこで法華経塾を立ち上げました。といっても、今のところ塾生はケンタのモデルとなった少年一人だけ。

塾の講義はウエブ上でもできます。これから八十代の若者にも九十代の若者(「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心のありさまを言う」という言葉があります)にも入塾していただけたら、と思っています。

塾生、募集中です。

 

          13歳からの南無妙法蓮華経・その4

             お題目を行じる

「ケンタは『法華経』という御経の名前を知っているかい」

「ハイ、知っています」

「その『法華経』の正式なタイトルが『妙法蓮華経』だ。南無妙法蓮華経のことをお題目と言うが、それは妙法蓮華経が御経のタイトル、すなわち題目だからだ。

「そうなんですね。じゃあ、南無妙法蓮華経というのは、『妙法蓮華経』という御経に南無しますという意味になりますね」

 私は道場に置かれてある『法華経』を手にして言いました。

「そうだ。だがそれは、ただこの御経本を敬いますということではないぞ。

日蓮聖人はこう言われている。

 『妙法蓮華経の五字は経文の題名ではあるけれど、経文そのものを超えたものであるのです。単なる意味、道理でもありません。法華経全体の意(こころ)なのです』

 ということで、お題目を唱えるというのは。法華経のこころを敬い信じ、その中に飛び込んでいくということなのだ」

続けて私は聖人の言葉を紹介しました。

「更に聖人は、こう言われている。

 『初心の信徒が法華経のこころを知らなくても、お題目を行じていれば自然とそのこころが分かってくるのです』

ケンタはこれを聞いて質問しました。

「『お題目を行じる』っていうのは、南無妙法蓮華経を唱えるっていうことですよね」

「そうだね。だが、口先だけで唱えたのでは行じたことにはならない。お題目を唱える上でもっとも大切なことは、仏さまへの深い信頼だ。仏さまと離れたお題目というのはあり得ない。法華経を説かれた仏さまへの絶対の信を持って、全身全霊で南無妙法蓮華経を唱え、そのこころの中に飛び込んでいくのがお題目を行じるということだ。

お題目を口で唱えている人は多いけれど、お題目を行じている人は少ないのではないかな。

お題目を行じていると、自然と法華経のこころが分かってくるというのは、これを信じ行じていると、必ず実感できることだ。」

 ここまで話して、私は全身全霊で南無妙法蓮華経を一唱しました。

「なんか、お題目の響きってすごいですね。

で、先生は今、仏さまって言いましたけれど、仏さまってどのような存在なんですか」

 そう質問するケンタに向かって合掌し、私はこう言いました。

「目覚めればケンタは仏。私も仏だ」

ケンタは「えっ?」と言って、きょとんとしています。

「ケンタは漠然と、仏とはどこか遠い所にいる、人間とは懸け離れたスゴイ存在だと思っていたのではないかな。だがそうではないのだよ。南無妙法蓮華経を真に理解してもらうためには、仏とは何かを説明しておかなくてはならないようだな。このことを話すことにしよう」

 そう私はケンタに言いました。

                                                                                                                           ―つづくー