バブル経済の余韻が残っていたころ、生徒に、こんな質問をしたことがあります。
「君に生涯、毎日10万円をあげることを保証しよう。だけれど10万円を受け取るには条件がある。それは難行苦行をしろといったことではない。生涯、人と親密なコミュニケーションをとってはいけないというのがその条件だ。友人や恋人をつくってはいけないし、もちろん結婚をしてもいけない。あとは、どこで何をしようと、まったく君の自由だ。さて、この条件を受け入れて、君は日々10万円を手にする選択をするかな?」
あくまでも「仮にそういうことがあったとしたら」の話ですが、このように言って、教室にいた40名ほどの生徒に挙手をしてもらうと、数人がその選択をするという方に手を挙げましました。この選択をした生徒は、お金こそが幸せに生きるために最も重要なものであると考え、他の物事にはほとんど価値を見出していなかったのでしょう。
とは言え、お金があっても、病気でベッドに寝たきりの生活では、旅行をしたり美味しいものを食べたりなど、自由に人生を楽しむことはできません。健康もお金とともに大きな幸せの条件であると言えましょう。10万円を得ることを選択した生徒は、健康管理には十分に留意するに違いありません。
一方、夜間の定時制高校で教えていたころ、母子家庭に育ち、母親が病弱なため、昼間は家族を養うため働いている男子生徒がいました。
「大変だなあ、頑張れよ」と私が労(ねぎら)うと、彼はこう言いました。
「先生、ボクは幸せ者です。仕事と勉強を終えて家に帰ると、幼い弟と妹が『お兄ちゃんお帰り』といって、嬉しそうにボクに突進してくるんです。母は、いつも『すまないねえ、ご苦労さま』と優しく声を掛けてくれます」
お金と健康が大切であることは、わたしも身をもって感じています。ですが、それが満たされなくても、良き人間関係が人を幸せにしてくれるということを彼から学びました。
お金、健康、良き人間関係。幸せに生きるためには。この三つ大切であり、特に人は孤独な状況で幸せであることは困難である。このことに異を唱える人はいないのではないでしょうか。
先の日々、十万円を手にする選択をした生徒は、「孤独の闇」を想像することができなかったのでしょう。
貧しさから脱すること、健康を回復すること、他者との争いを終わらせること。このようなことに努力をしている人がいれば、わたしは無力ながらも応援したいと思います。と同時に、釈尊のいう幸せがどのようなものであるかもお伝えしたいと思っています。一言で言えば、釈尊は、自己と他者の外側ではなく、内側に目を向けて、揺るぎのない幸せを手に入れられました。このことを、次回にお伝えしたいと思います。