体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

御霊(みたま)抜きに行ってきました

以前に古都の寺院で出会って感動した仏像を博物館の仏像展で拝観しら、同じ仏像なのにまったく違った印象を受け、感動しなかった。そんなことがあります。それは仏像を寺院から博物館に移す際に御霊抜きをするからです(仏像が寺院に戻ったら、また御霊に入っていただきます)。

御霊抜きをした尊像は、どんなに高貴で美しくても、単なる美術品になってしまいます。

新しい仏像を寺院にお祀りするにあたっては、開眼(かいげん)法要、すなわち御霊入れの法要がなされます。そのことで木像にたましいが入るのです。

御霊入れをするのは寺院の仏像だけではありません。一般家庭にお仏壇を安置するにあたっても、仏壇、ご本尊、お位牌に御霊入れをするのが本来の在り方です。

近年「仏壇じまい」すなわちお仏壇の処分ををする人が増えてきています。その際、何も考えず、お仏壇やご位牌を一般ゴミと同様に廃棄してしまう人もいますが、多くの人は僧侶に御霊抜きをしてもらってから処分したいと思うようです。

そのような思いに応えて「お仏壇ご供養処分」を仕事としている業者が存在しています。都心部では菩提寺のない人が多くいます。そのような人がこの業者に「仏壇じまい」の依頼をするのです。業者は依頼者に僧侶を斡旋し、御霊抜きの法要を終えた仏壇や位牌を引き取ります。

昨日、業者から頼まれて、御霊抜きに行ってきました。

赴いたのは、ビルが林立する新宿区にある介護施設です。手の消毒、検温をし、読経時も絶対にマスクを外さないという条件で、入館書類に僧侶であることを明記して入室しました(禿げ頭と衣に袈裟を着けているのを見れば、坊さんであるのは一目瞭然だと思うのですが)。

火気厳禁で、法要にあたってお線香やローソクに火は点けられないとのこと。認知機能が衰えている方もいらっしゃるので、このような規制があるのでしょう。

お仏壇は、その施設に居住されていて亡くなった高齢者のもので、入室すると、お仏壇以外の物を片付け業者が整理していました。閉眼(御霊抜き)法要の参列者は、故人の縁者、三名です。

縁者(おそらく故人のお子さんでしょう)の中に、お仏壇を引き継ぐ意志のある方はいらっしゃらず、処分するということなのでしょう。

わたしは、幸せに生きていくためには対人関係と共に対霊関係にも心を配ることが重要だと考えています。日々、お仏壇の前で、ご本尊と先祖に手を合わせて感謝するというのは、対霊関係上、最も大切なことだと思っています。死んだら無になると思っている人にとっては、対霊関係などというのは、バカバカしいことでしょうが。

仏道修行の中で霊を感受してきたわたしにとっては、対霊関係を無視するのは、あり得ないことです。

ですが、今回の御霊抜き法要の参列者はみな初対面で、わたしの法華道場の檀信徒でもありません。問われもしないのに、対霊関係が大切であるということをお伝えし「お仏壇を置くスペースがないのなら、お位牌だけでも安置することはできませんか」などと言うわけにはいきません。何もお伝えしませんでした。

ところが参列者の方々は、法要を終えると、深々と頭を下げられました。心のどこかで、何とはなしにではあっても霊的な世界を感じていらっしゃるようでした。わたしの唱えるお題目に何かを感じ取ってくださった気もします。

御霊抜き法要など眼中になく、お仏壇やお位牌を平気でゴミとして処分してしまう人と比べたら、先祖にとって救いがあるようにも思われました。

わたしは、お仏壇の前で心を込めて、読経、唱題をさせていただきましたが、このことがご縁となって、依頼主が先祖を供養しようという思いを持たれる時が来るかもしれません。

先祖を供養をしようという思いのない方の前で真摯に読経、唱題することも、決して意味のないことではないと感じています。