僧侶として、ただ儀礼としての形式化した葬儀、法要を営むのではなく、真に御霊(みたま)の救済ができる供養がしたい。これがわたしの切なる思いです。
仏教は無霊魂論である。そういう人もいます。このことに関して、今さまざまに論じられていますが、仏教が無霊魂論であるか否かについては、またいずれこのブログで、思いを記したいと思います。
わたしは、死後の生、死後の個性存続を前提として、供養をさせていただいています。御霊と直に向き合っていると言ってもよいでしょう。わたしにとって故人の霊は、観念的なものではなく、明らかに実在するものです。
過去の記事にも記してきましたが、これからも供養体験をお伝えしていきたいと思います。
最近亡くなった方だけではなく、何百年も前の御霊の供養をすることもあります。今年の七月に鎌倉のいくつかの箇所で営んだ供養は、わたしにとって衝撃的なものでした。
この供養で、七百年以上の年月を経ても、亡くなった場所で地縛し、苦しんでいる御霊のあることを知りました。このことについては、改めてお伝えしたいと思います。