体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

「小島弘之を捨てられますか?」と聞かれたことがあります

「あなたは小島弘之を捨てられますか?」そう、ある瞑想家から質問されたことがあります。

「今すぐ捨てなくてはなりません」ということではなく「捨てる覚悟はできていますか」という意味で、こう質問されたようです。

江戸中期の僧侶、白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師は、白隠慧鶴を捨てることができた人でした。

白隠禅師の寺がある村の、うら若い娘が村の若者を好きになり、親に内緒で交際をし、みごもっててしまいました。怖くて父親にはいえません。ですがお腹は次第に大きくなっていきます。

切羽詰まった娘は、父親にウソをつきました。「私のお腹に赤ちゃんがいます。父親は白隠さまです」

こう言えば、「あの立派なお坊様の子ならしょうがない」と怒られずに許してもらえるだろうと考えたのです。

ところがその考えは大外れ。激怒した父親は、赤ん坊を抱いて、白隠禅師の寺に怒鳴り込み、「このニセ坊主!よくも娘をたぶらかしおったな」と言って、赤ん坊を白隠禅師に押し付けました。

白隠禅師は「ほう、そうか」とだけ言って、赤ん坊を受け取りました。とはいっても、寺にいるのは修行僧のみ。女性はいません。白隠禅師は、毎日赤ん坊を背負って村を廻り、赤ん坊のいる母親に乳を恵んでもらっていました。

村の母親たちは、蔑みの眼で白隠禅師を見ましたが「赤ん坊に罪はない」と言って、乳を与えていました。

その様子を見ていた、子を産んだ娘は、いたたまれなくなり、父親に「ごめんなさい!」と本当のことを告げました。それを聞いた父親は、白隠禅師のところに即座に駆けつけ「申し訳ないことをしました。赤ん坊をお渡しください」と言って、土下座して詫びました。

このときも白隠禅師は「ほう、そうか」とだけ言って、赤ん坊を娘の父親に渡しました。

白隠禅師は「自分は村人から尊敬され、慕われている白隠慧鶴という僧である」ということに、まったく、こだわりがありませんでした。「名誉棄損」などと言う思いは、禅師には、これっぽっちもありませんでした。白隠禅師は、白隠慧鶴であることを捨てることができた人であったのです。

さて、わたしは、周囲の人に、「本当に南無妙法蓮華経を唱えるためには、自己への信を持つことが必要です」とよく言っています。

わたしは、唱題をし、自己への信を深めていますが、信を深めるために、小島弘之という自分を大切にするのではなく、捨てる覚悟をしようとしています。これは矛盾した話のようにに思えますよね。

でも、「自己への信を深めるために小島弘之を捨てる」というのは、まったくおかしな話ではないのです。このことは次回の記事でお伝えしたいと思います。