体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

許す

「あなた、食器を洗ってくれるのはいいけど汚れが残ってるわよ。かえって迷惑だわ」「どうして本棚に無造作に本を横に積むの。ちゃんと立てて並べなさいよ」・・・。妻にとってわたしの行動がお気に召さないことは、しょっちゅうのことのようです。ささいな…

「普通」を超える

わたしが日常、接しているのは、普通の人たちです。人を強く憎んで呪ったり、ひどい暴力をふるったり、詐欺行為や働いていたり、・・・といった人との接点は、今のところはありません。 教員時代のある日、昇降口で雨宿りをしている男子生徒に「傘を貸してあ…

死後を視野に入れて生きる

浄土真宗である我が家の菩提寺に法要で参った折、本堂に「千の風になって」が静かに流れていたことがありました。この曲が話題になっていたころのことです。 死後について「千の風に、千の風になって、あの大きな空を吹き渡っています」と秋川雅史さんが歌う…

極意は空っぽの器(うつわ)になること

今、勉強を教えている小学3年生の男の子と休憩時間にトランプの色当てゲームをしています。 わたしはトランプをシャッフルして、彼に見えないようにして一枚を引き、ハートかダイヤなら赤、クラブかスペードであれば黒と彼に想念を送ります。テレパシー訓練…

闇バイト強盗事件の犯人を許せますか

闇バイト強盗事件の報道を見て、実行犯や指示役について「許せない!」と憤りを感じている人は多いでしょう。 「人はみな仏の子。誰もが尊い」という法華経のメッセージを聞いて「凶悪犯も尊いと言うのか。そんなのは、そらごと、きれいごとにすぎない」と言…

ただ、今、ここに在る幸せ

努力することこそが幸せになる道だと思って、日々、勉強や仕事に一兆懸命に励んでいる。でもいつも十分な成果が得られず、焦燥感に駆られ、不安なく今に安らぐことができない。 そのような思いで生きている人は多いのではないでしょうか。そのような人には、…

祈願・その2

学校、就職、結婚、住居・・・。人生には大きな選択を迫られることがあります。 大きな選択が成就するように祈願して欲しいと依頼された場合、本人が自分の意志でしっかりと決め、それが自己中心的なものでなければ、わたしはお受けし、ご本尊の前で祈ります…

祈願

ある女性が一人の男性に恋をしました。男性はその女性に特に好意を抱いてはいませんでした。一方的な恋です。 女性はマンションで一人暮らしをしている男性に「あなたの部屋の掃除をさせてくれない」と頼み込み、男性の了解を得て部屋の鍵も預かりました。し…

純粋意識

このブログで、わたしの供養体験を紹介してきました。 わたしの供養は、唱題(お題目、南無妙法蓮華経を唱えること)で、わたしの純粋意識、言い換えれば「在ることそのものの自己」が妙法と一つになることによってなされるものです。 純粋意識。それは『般…

鎌倉での供養

今年の7月13日、わたしは高校三年生のケンタロウ(仮名)と鎌倉に赴きました。一泊二日の小さな旅です。大学進学を目指すケンタロウは入試科目に日本史を選んでおり、彼の中世史の実地の学習と、幾つかの場所での御霊(みたま)の供養が旅の目的です。 ケン…

本当の供養がしたい・その2

僧侶として、ただ儀礼としての形式化した葬儀、法要を営むのではなく、真に御霊(みたま)の救済ができる供養がしたい。これがわたしの切なる思いです。 仏教は無霊魂論である。そういう人もいます。このことに関して、今さまざまに論じられていますが、仏教…

ほんとうの供養がしたい

長い間、亡き人の供養のために読経、唱題(南無妙法蓮華経を唱えること)をさせていただいてきました。 供養を終えて依頼者から「ほんとうに供養ができているのでしょうか」と、もし問われたら、わたしは「心を込めてさせていただきました」とは言えても、「…

いのちと響き合う・2 ー 唱題供養 ー

お題目、南無妙法蓮華経を唱えて、さまざまないのちと響き合っていると、自他は離別したものではなく、つながっていて深いところでは一つであるということが実感されます。 日常生活の中で人は、大人であれば社会的地位や経済状況など、中高校生であれば学力…

いのちと響き合う

教養として仏教を学ぶ。それも良いことですが、ほんとうに仏の教えを知りたければ体験するしかないと感じています。 その体験とは、いのちと響き合う体験です。このいのちには、あらゆるいのちが含まれます。あの世の人のいのち、この世の人のいのち、神仏の…

法華経Eメール講座をはじめます

「法華経というお経の正式な名称をご存じですか」と訊くと、ほとんどの人が答えられません。日ごろ法華経に親しんでいる日蓮宗の檀家さんでも、知らない方が多数います。 『法華経』の正式名称は『妙法蓮華経』です。「南無妙法蓮華経」は『妙法蓮華経』に「…

『14歳からの南無妙法蓮華経』を出版しました

昨年の9月から『14歳からの南無妙法蓮華経』の執筆、編集に入り、ブログを更新するゆとりがありませんでした。 ようやく今年の9月にこの本が完成しました。これからまたブログを更新していきます。 「14歳からの~」というタイトルですが、実際に手に取っ…

「すがる」がしっくりとくる天部の神々への信仰    ー 対神関係について ー

日蓮聖人のお題目信仰や、親鸞聖人の絶対他力のお念仏信仰に「すがる」という言葉を用いることに違和感を感じると書いてきました。 ですが、まさに「すがる」という言葉がしっくりとくる信仰があります。それは天部の神々への信仰です。 天部の神とは仏法守…

海に抱かれて ー 言葉遊びを超える ー

宗教体験を言葉にするというものは、難しいものです。 「如来にすがる」、「本尊にすがる」といった表現の「すがる」に違和感を覚えるということを、前にブログに書きました。これについて「私は違和感を覚えるということはありません。神仏という大いなる存…

キリスト教に近いのは、浄土真宗ではなくて日蓮宗?

tikaintikain 『歎異抄・第9章』を読むと、唯円が師の親鸞聖人にこんな質問をしていることが分ります。 「南無阿弥陀仏を称えていても喜びの心が涌き上がってきません。どうしてでしょうか?」 この問いに対して親鸞聖人は「私にもこの不審があったのだよ」…

『14歳からの南無妙法蓮華経』を自ら買う中学生は、まずいないでしょう

二十数回にわたって、途中に別の記事も挟みながら「14歳の君へ」を連載してきました。まだ書き加えなければいけない内容もあるのですが、これをまとめて『14歳からの南無妙法蓮華経』という一冊の本にするための作業に入りました。副タイトルは「生きる勇気…

霊能と霊性は比例しません

「宿泊するホテルの部屋に入った途端、何か嫌なものの気配を感じて、わがままは承知の上で、特に理由を言わずにフロントで部屋を替えてほしいと頼んだんです。そうしたら、あっさりと応じてくれたんです」。 こんな話を何人かの知人から聞いたことがあります…

哲学者は知らない

『13歳からの地政学』、『14歳からの宇宙論』・・・といった「13歳からの~」あるいは「14歳からの~」というタイトルの本が多く出版されています。そこには、未来の世界を創る、多感な時期の子どもたちに、自分の専門分野のことを正しく分かりやすく伝えた…

修羅を生きる・その2

わたしは親族の中で変わり者だと言われてきました。父方、母方の祖父、父、おじ達は全員、経済界で生きてきて、教員になったのは、わたし一人。それも教員をする傍ら仏道修行をして僧侶になってしまいました。 妻と結婚する前に、ある百貨店の副店長を務めて…

修羅を生きる

教員時代、わたしは校長、副校長の下で主幹教諭というポジションで仕事をしてきました。複数の校長、副校長に仕えてきましたが、なぜか気が合うのは、修羅の気を帯びた上司でした。 わたしたちは人間界の住人ですが、中には地獄、餓鬼、畜生、修羅、あるいは…

本物を求める人は少ない

先日、我が家に来訪した長男と久しぶりに酒を飲みましたが、息子は驚いたように「おやじは、いつもこんな酒を飲んでるの」と言いました。 わたしが飲んでいる日本酒は、スーパーで最安値のもの。長男は家では上質の日本酒を嗜んでいるようで、その味と我が家…

夏休みが終わろうとしています

夏休みが終わろうとしています。この時期、わたしは子ども時代、いつも宿題に追われ、「来年こそは早めに宿題を終わらせよう」と思っていましたが、その反省が生かされたことはありませんでした。 中学二年生(以前の記事に登場した、わたしの「小さな弟子」…

「すがる」に感じる違和感

東京の品川区でささやかな仏教の勉強会を開いています。メンバーのほとんどが、教員時代に勤務校で開催していた公開講座「教養としての仏教」の受講者です。 勤務校は公立高校でしたから、公開講座では、わたしが日蓮宗に所属していることを自ら明かすことは…

14歳の君へ㉖ 十界は君の内にある

仏教では、全世界を低い次元から高い次元にいたるまで十の世界に分けている。この十界を低次元の世界から順に並べると、以下のようになる。 地獄界 餓鬼界 畜生界 修羅界 人間界、天界界 声聞界 縁覚界 菩薩界 如来界 このうち地獄界~天界の六つの世界を六…

14歳の君へ㉕ ご本尊とひとつになる

信仰の対象として、お寺の本堂の中心に安置する仏さまの像を本尊という。 日蓮宗でも本尊として仏さまの像をお祀(まつ)りすることがあるけれど、日蓮宗の多くの寺院では、写真のような紙幅(しふく)をご本尊としてお祀りしている。これを十界大曼荼羅ご本…

映画『怪物』と幸せ

今朝、ブログの読者からメッセージをいただいた。 是枝裕和監督の映画『怪物』の中の「誰でも手に入るものを幸せっていうの」というセリフが心に残っている。昨日アップしたわたしの記事を読んで、この言葉を思い出した。 以上がメッセージの主旨だ。 わたし…