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ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

14歳の君へ⑮ 運命を導く南無妙法蓮華経

教員時代、担任を務めるクラスで、入学したばかりの生徒たちに、こんなことを言ったことがある。

「高校卒業までに海外の人たちと不自由ななくコミュニケーションが取れる英会話力を身につけたいと思っている人はいるかな。この力を身につけたら、人生、大きく変わるかもね」

ほとんどの生徒はこの能力を身につけたいと答えた。だが、卒業時までにそのような英会話力を身につけた生徒は、本当にごくわずかだった。なぜなのか。

ここで、君の人生を変えるための奥義を伝えよう。それは「身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう)を合致させる」ということだ。

「業」とは「行為」のこと。三業とは、身(身体)と口(言葉)と意(心)の三つの行為をさす。

運命をつくるのはこの三つだ。それ以外には何もない。この三つを合致させたとき、間違いなく運命は大きく動き出す。

ほとんどの生徒の英会話力が伸びなかったのは、ただ「流暢にしゃべれたらいいな」と思っただけだからだ。この思いを口に出して周囲に伝え、語学のCDを聴いたり海外の人と話したりという行動をとらなかった。つまり口と身が伴っていなかったのだ。

身・口・意の三業を一致させることによって、人は、はじめて大きな力を発揮するようになる。が、反面これは恐ろしいことでもある。

身・口・意の三業を一致させて人を憎み、呪えば、他者を大きく傷つけことが可能となり、そのことで自らを破滅に追いやることにもなるのだ(このことについては、また別のところで詳しく話そう)。

何に対してに身・口・意を一致させるのか。このことをよく考えないといけないね。

人生を切り開く力を剣(つるぎ)に喩えるなら、多くの人の剣はさび付いているので、つまり身・口・意が一致していないので、大きな力で人生を変革することはない。いっぽうでは大きく他者と自分を傷つけることもないのだ。

良きにつけ悪しきにつけ、この世で強大な力を発揮している人は、常に身・口・意の三業を一致させている、つまり、さび付いていない、切れる剣を持った人だと言ってよいだろう。

日蓮聖人は、光った切れ味の鋭い剣を持った方だった。その剣は世の闇を断ち切る利剣、すなわち仏となる道を切り開く剣だ。

その日蓮聖人は、当然のことながら、仏となるために身・口・意の三業を合致させることを説かれた。これを妙法(妙法蓮華経)五字の三業受持(さんごうじゅじ)という。「受持」とは仏の教えを受け持(たも)つことだ。

三業受持における身業受持は、法華経の色読(しきどく)だ。色読とは身体を持って法華経を読むこと、つまり法華経の教えを実践することだ。実践についての具体的な内容は、後で述べることにしよう。

口業受持は南無妙法蓮華経を口で唱えることだ。

そして、意業受持は法華経に絶対的な信を置く信心だ。

唱題(お題目を唱えること)は、仏となるための行だが、ただ口で唱えているだけでは行にならない。三業を一致させて妙法蓮華経を受持することが日蓮聖人の行なのだ。

英会話でもスポーツでも、三業を一致させれば、最大の力を発揮することができる。英会話力を発揮できるのも試合に勝つのも嬉しいことだよね。

だが三業を受持して妙法蓮華経を受持する喜びは、これらを遥かに凌駕(りょうが)している。

妙法蓮華経の三業受持は、君の運命を仏の世界へと力強く導いていくのだ。

このことについて、さらに深い話をすることにしよう。