「宿泊するホテルの部屋に入った途端、何か嫌なものの気配を感じて、わがままは承知の上で、特に理由を言わずにフロントで部屋を替えてほしいと頼んだんです。そうしたら、あっさりと応じてくれたんです」。
こんな話を何人かの知人から聞いたことがあります。嫌なものというのは、端的に言えば霊です。いわゆる霊感ある人は、ホテルや旅館の部屋で霊的な存在を感じてしまうことがよくあります。
嫌なものの気配を感じる部屋というのは、自死があったりした部屋です。
ホテル側は、このような場合、自死があったりしたことは一切触れずに「承知いたしました」と応えるのがマニュアルとなってるようです。
フロント係が部屋替えを断って、宿泊客から「実は、霊がいるようで怖いんです。何とかなりませんか」などと言われたら「それは思い過ごしでは」と言うわけにもいきません。変な噂が立つことを避けているのでしょう。
霊感のある人は、霊に遭遇した場合、どう対応してよいか分かりません。個々の状況に応じて、霊としっかり対応できるのが霊能者(霊的能力者)です。
もっとも霊能者には、精神を病んでいて「自分には霊能がある」と思い込んでいたり、霊能があるふりをしているだけの人もいます。多少の霊感があるだけなのに霊能者だと自称している場合もあります。
玉石混交ではなく、圧倒的に石が多いのが霊能者の世界です。ですが玉が存在することは紛れもない事実です。わたしは複数の本物の霊能者と出会ってきました。今でも親しく交流している霊能者がいます(霊能者と出会って体験したことは、またいずれ記すことがあるかもしれません)。
『ムー』というオカルト雑誌を愛読していて、霊能者になりたいと思っている男子の教え子がいました。彼から「どうしたら霊能者になれるのでしょうか」と真面目に質問されたことがあります。これも一つの進路相談でしょうが、多くの先生は、このように言われたら絶句するでしょう。
霊能者を養成する大学の学部も専門学校もありません。知り合いに信頼できる霊能者がいる先生もまずいないでしょう。彼がわたしに相談したのは、わたしが授業中の余談でスピリチュアルな話をすることがあったからのようです。
その教え子に霊能者の世界を志望する理由を訊いてみると、一言でいえば「自己顕示欲求を満たしたい」ということのようでした。
彼は多少の霊感があり、霊的世界を感受していましたが、この力を高めて多くの人々から敬われるようになりたいと考えているようでした。小学生の頃にいじめに遭った経験があり、自分をバカにする人間を見下してやりたいという思いもあるようでした。
霊的能力というのは簡単に得ることができるものではありませんが、他者への慈しみがなく、ただ霊的能力を得たいという彼が、実際にその力を得たら、それは小さな子どもがライターや刃物をもったようなもの。他者を傷つけるだけではなく自分も大きな傷を負いかねません。
霊能の前にまず霊性を高める努力をしないと、神仏とは響き合わず、次第に低次の霊的存在から使われるようになっていきます。
霊性とは、キリスト教の世界にあっては「聖霊によって、神との深い交わりを生きる在り方」ですが、一般的に「理性を超えた智慧と慈悲に満たされて生きる在り方」のことを言います。
霊能がある人ほど霊性も高い。そう思っている人もいるようですが、これは誤解です。わたしは、まがいものではない真の霊能を持ちながら霊性が高いとは言い難い霊能者とも出会ってきました。そのような霊能者は名声を得ているとしても、人生の最後は推して知るべしです。
わたしは霊能開発の道を歩もうとする若者には、ぜひ仏道を歩んでほしいと願っています。仏道を歩む上での深まりと霊性は、まちがいなく比例しています。