体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

哲学者は知らない

『13歳からの地政学』、『14歳からの宇宙論』・・・といった「13歳からの~」あるいは「14歳からの~」というタイトルの本が多く出版されています。そこには、未来の世界を創る、多感な時期の子どもたちに、自分の専門分野のことを正しく分かりやすく伝えたいという筆者の思いが込められているのでしょう。

池田晶子さんの『14歳からの哲学』の「死をどう考えるか」という項目を読んで、十代の若者に死について、きちんと伝えておかなければと強く思いました。

わたしは『14歳からの南無妙法蓮華経』の刊行を思い立ましたが、その執筆理由のひとつに「死後の生」について若者に伝えたておきたいということがあります。

『14歳からの哲学』の副タイトルは「考えるための教科書」です。帯には「人は14歳以降、一度は考えておかなければならないことがある」と記されています。

たしかに考えることは大切です。深く考えずに生きていて、カルト宗教の罠にはまってしまう若者もいます。

ですがわたしは、死について考える前に死後の存在を感じてしまう十代の若者と少なからず出会ってきました。亡き人の存在をはっきりと感じる、霊が視える・・・。そういった体験を持つ若者たちと出会ってきたのです。

そのような若者は、肉体亡き後もいのちは存続しているということを、事実として認識しています。

「霊が視えるなどというのは、脳の機能に問題があったり心を病んだりしているからでしょう」という人もいます。ですがまだ少数ですが、死後の生命持続ということを前提として、治療にあたっている精神科医がいます。

精神科医で高名な深層心理学者であるユングも公には語っていませんが、霊の存在を認めていたようです(このことを公表しなかったのは「ユングはおかしくなってしまった」と批判されるのを恐れたからのようです)。

霊を感じるという現実に直面しながら、ウソつきだとか精神に異常をきたしていると言われるのを恐れて、人知れず悩んでいる若者に、わたしは死の問題について「よく考えてごらん」とは言いません。考えても問題は解決しないからです。

わたしは教員時代、ひとりの音楽部の女子生徒から音楽室に霊の気配を感じるという相談を受けたことがあります。勉強のできる真面目な生徒でした。わたしは彼女からその状況についてよく話を聴き、教職員がみな帰宅した夜の校舎で、供養の読経をしました。

この時は、霊的感受性に優れた理科の青年教師、N君に傍らに居てもらい、供養後の状況を確認してもらいました(教員にも霊が視えたり霊を感じたりする人はいます。このことを自らオープンにすることは、まずありませんが)。

その後、音楽室から霊の気配は消えました。

映画『燃えよドラゴン』の中でブルース・リーは弟子に「考えるな、感じろ」と言いましたが、特に霊的な問題について相談された場合、わたしは、まず頭で考えるのではなく、心で感じるようにしてきました。

現在、僧侶として死者と向き合うにあたっても、頭を捨てて読経、唱題をしています。これは、理性を超えて霊性を発揮している状態といってもよいでしょう。

哲学者は、人には理性を超えた霊性というものが具わっているということを知らないようです。

哲学者、ソクラテスはダイモーン(神霊)の声が聞こえていたといいます。これは幻聴とみなされることが多いようですが、わたしは、ソクラテスは単なる哲学者ではなく、高い霊性を発揮した宗教的指導者であったと考えています。