「カルト問題で言及されていないこと・その1」で、霊力というものは思い込み、迷信といったものではなく実在すると記しました。ですが、まがいものの霊力もあります。この点についての注意も必要です。
祈祷性精神病という病があります。加持祈祷などによって人格変換・宗教妄想・憑依妄想などの病態を発する精神疾患です。
神仏や歴史上の人物、あるいは未浄化霊がわが身に降霊してして言葉を発するという人物の多くはこの精神の病に冒されていると言ってよいようです
「あなたの過去世はクレオパトラです」とか「神武天皇です」などと霊視の結果を語る教祖や霊能者の多くも同様です。
精神疾患ではなく、霊力があるような演技をして信者を集めている教祖や霊能者もいます。宗教ビジネスをやっているといってよいでしょう。
わたしは、かつてテレビでよく目にした「私には霊能力がある」と自ら語って「悪霊退散!」と気合を発していた男性僧侶から、「小島上人、ホントは私、霊能力なんか無かったの」と打ち明けられたことがあります。
取り巻きの幹部が、教祖が精神疾患であることを知っていながら教祖を祭り上げ、宗教ビジネスを行っている宗教団体もあります。国から宗教法人として認可されている、このような教団もあり、こうなると、これはもう合法的詐欺です。
宗教やカルトの問題については、教祖の精神疾患や宗教ビジネスという名の詐欺行為についても触れる必要がある考えています。ですが信教の自由が憲法で保障されている我が国においては、識者たちは信者から「信教の自由を奪う気か」と糾弾されることを恐れて、特定の教団について「教祖は精神を病んでいるようですね」とか「多大なご利益があるというのはウソ、思い込みでしょう」といった発言はしません。
ウソ、偽りは社会から排除しなければいけないと思うのですが、これが宗教となるとグレーゾーンもあり、なかなか難しいようです。
さらにわたしが懸念しているのが霊力の問題です。
わたしは、霊能力、神通力、験力、法力といったものをひっくるめて霊力と呼んでいます。この中で、霊能力は超能力と同一視されることがあるのですが、わたしは、霊が関与しない透視やテレパシーといった超感覚を超能力、霊が関与してしている力を霊能力と分けて考えています。
霊能力者の場合、高級霊が関与している場合はよいのですが、そうでない場合も多々あります。低級霊が関与している霊能力者を信じると、大ヤケドを負いかねません。
神通力、験力といったものを持った修行者については、修行者の背後で龍神、稲荷大神の眷属の霊狐などが働いていることがあります。このような霊的存在も、高次なものから御神仏のハグレ眷属のような低級なものに至るまで霊性は様々です。関わると翻弄されてしまう危険な霊的存在もいます。
「小島は何をアホなことを言っているのだ」と思う方もあるでしょう。ですが密教系や日蓮系の僧侶の中には、わたしと同じ認識を持っている僧侶が少なからずいるはずです。
いっぽう法力というものには、危うさはありません。それは、自己の念の力でも龍神等の天部の神々の力でもなく、如来によってもたらされた絶対的な力です。これを法華経の世界では、妙法の力と言います。
わたしは唱題をするとき、「我が唱題は我が唱える唱題にあらず。妙法の唱える唱題なり」という感覚で三昧に入って南無妙法蓮華経を唱えています。その結果、わたしの力ではなく妙法の力によって、病苦をはじめとする困難な状況が変容していきます。未浄化な霊が浄化していくこともあります。
法力以外の霊力の場合、霊的存在と人との間で支配と被支配、依存の関係が生じ、そこに光がもたらされるのではなく、闇が生じることもあります。これは伝統宗教でも起こり得ることであるのですが、カルトの場合は特に深い闇が生じていることが多いようです。
霊力というのは、決して観念的なものでも荒唐無稽なものでもありません。宗教とカルトを問うにあたって、霊力の問題を無視することはできないと、わたしは考えています。