体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

深層コミュニケーション1・三脈の法

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24時間以内に自分の身に命を失うような危険が迫ってたとして、あなたはそれをキャッチできますか。なんとなくその予兆を感じる人はいるかもしれませんが、そのような人はごく僅か。キャッチできなくて当たり前ですよね。

しかし実は、だれでも例外なく、身に迫る危険を身体で察知しているのです。それが表層意識(顕在意識)に上がってこないだけなのです。

今回は、その危険を表層意識で感受する方法をお伝えしましょう。この方法で命に係わる危険から免れた人は古来多くいます。これを「三脈の法」といいます。

左手の親指を首の左側、人差し指を首の右側に当て、脈打っている箇所を捜し、脈を感じます。さらに右手の親指を左手首に当てて脈を感じます。三か所の脈を同時に診ると、三か所の脈の速度は通常一致しています。それが24時間以内に危険が迫っている場合には、脈が乱れる、すなわち速度がバラバラになるのです。

旅人が冬に峠越えをする前に三脈を診たら乱れていたので、その日の峠越えを取りやめたところ、大雪崩があって、死を免れたといったことが古書に記されています。

現代では、列車に乗る前に三脈を取ったら乱れていたので、乗車しなかったところ、その列車が死傷者を出す脱線事故を起こしたといった報告があります。

火事になる船からはネズミがいなくなると言う話を聞いたことがあります。動物は本能的に危険を察知しています。人間もそのような能力を持っていますが、意識に上ってこないのです。

泣いたり笑ったり、悩んだり喜んだりする自我を、普通は「わたし」だと思っています。ですがそれは「わたし」のごく一部です。三脈の法から分かる通り、身体も意識を持っていて、自我が感受できないことを意識しています。

自我意識の奥には深層意識があり、それは重層構造をなしています。その浅い部分には自我で意識できていない不安、悲しみ、怒りといったものが在り、その最も深いところには仏性と呼ばれる、輝く意識が在ります。

不登校児が、就寝前に「明日は学校に行くぞ」と思ったのだけれども、起床してみたら、なぜか頭痛がして行けなくなってしまったいったことがあります。これは、自我が「学校へ行こう」と思っても、深層の意識が「嫌だ。行きたくない」と言っている状態です。アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態といってもよいでしょう。これでは動くことはできません。自我が深層の意識の声も受け止め、折り合いをつけていかないと人生はスムーズに進みません。

「癒す」というのは、自我意識と身体意識を含む深層意識を統合することであり、仏道というのは、この両者を統合し、深層意識の最深部に在る仏性に目覚めていく道であるのです。

唱題(「南無妙法蓮華経を唱えること」)は統合と目覚めの道です。