体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

わたしの過去世

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わたしは心霊研究をしてきましたが、その過程で、何人かの霊能者から、わたしの過去世を伝えられたことがあります。ちなみに前世というのは今回の人生の直前の生涯、過去世は、それ以前の複数回の生涯を言います

わたしは、過去世があるということを認めています。しかし、霊能者から伝えられた、わたしの過去世のすべてを真実として受け取っているわけではありません。

出会った霊能者の中には、作り話をあたかも真実であるかのように語る、詐欺師と呼んでよいような霊能者はいませんでした。ですが、あまり能力が高くなくて、ノイズが多すぎたり、霊能者自身の主観が入り込んでしまったりしていて、内容に信憑性を欠く霊能者がほとんどでした。

しかし「なるほど」と、たましいのレベルで得心できる過去世を伝えてくれた霊能者も何人かいます。その内容の共通項は、「過去世でも仏道に深くかわっている」ということでした。

「なんて虚しいことをしているんだろう。自分が戦国の世に武士の子として生まれたなら、絶対に戦(いくさ)から逃れて、僧侶になっていただろうな」

わたしはテレビの時代で、戦国時代の合戦の場面を観ると、いつも決まってこう思っていました。

闘うことが怖いわけではありません。殺戮を繰り返して修羅界の頂点に立つことが、ばかばかしく思えたのです。わたしは過去世で、権力者の傍にいながら、権力を振るうことに興味かがなく、周囲から変人と思われる人生を過ごしてきた記憶が、何となくあります。

わたしが自分のことを何も語っていないのにもかかわらず、「あなたには、武士であったのだけど、それが嫌になって僧侶となった過去世がありますね。」と指摘した霊能者と出会ったことがあります。時代は室町時代。身長のある武士で、空海密教に惹かれて出家したとのことでした。

わたしは、日蓮宗の僧侶ですが、若いころ、空海真言密教の修行をしていたことがあり、この話は腑に落ちました。

仏道を歩む者として、わたしは、自分の過去世がどのようなものであったかを知ることは、特に必要ないと思ってています。むしろ興味本位でそれを知ろうとすることの弊害が気になります。「あなたは過去世で高名な人物でした」と言われて、増長することがあったりするからです。。

ですが、だれもが過去世の業(カルマ)を負って現世を生きており、現世の生き方が来世へと影響を及ばしていくことを認識することは重要であると考えています。

わたしに霊能はないので、他者の過去世を視ることはできません。ですが、息子や教え子と向き合っていて、子どもたちの負っているカルマを感じたことはあります。そして進路の相談に乗るにあたって、その感覚が役立ったことは少なからずありました。

もちろん勤務校の生徒の進路にかかわる会議で「あの生徒には、こんなカルマを感じます」などと発言することはありませんでした。ですが、わたしが進路指導をする際は、おのずと生徒のカルマを感じ取っていました。

無から生まれて、生きて、また無に帰る。このような認識では、真に子どもを育むことはできないとわたしは思っています。私塾を開いたことは前の記事に記しましたが、わたしはそこで、過去世と来世を視野に入れた、たましいの教育をしたいと考えています。