体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

転生について思うこと

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「このごろ読書の時間が取れていないなあ」と思って、今日、仏教書を開いたら、こんな言葉に出会いました。

「輪廻とか、カルマとか、近代化の文脈の中ではすでに過去に属するものとして否定されなくてはならないもの」

積極的に禅の指導をされている、道元禅の第一人者といってもよい僧侶の言葉です。

伝統仏教の世界では、霊的な世界を否定する在り方が、まだ主流のようです。ですが、多くの若者たちは、なんとなく輪廻とか過去性を感じ取って生きているようです。前世をテーマににした長編アニメーション映画が反響を呼んだりしています。

昨夜、身延山で一緒に修行した二十代の僧侶たちとZoomで新年会を開きましたが、参加メンバーたちは、霊的な世界が実在することを、当たり前のことのように語っていて、なにかほっとしました。

いっぽうでは、スピリチュアルなセミナーなどでは、怪しげな言説も飛び交っていて、「困ったことだ」という思いも抱いています。

わたしは、「自分は過去世で道元禅師でしたと」いう人物に三人、出会っています。有名人が自分の前世だったと指摘されて、嬉しそうににしている人をたくさん見てきました。ですが、「自分の前世は農民です」という人には出会ったことがありません。

霊的な世界のことは、何とでも言えます。自我を満たすために、自己の過去世を探ることはお勧めしません。

わたしは、興味本位ではなく、自分や周囲の子どもたちのカルマを感じながら生きてきました。空海さんは次のように言っています。

「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」

何回も生死を繰り返し、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六つの世界の輪廻の輪から抜け出せない衆生を嘆いた言葉です。同じ語を四回も繰り返しているところに空海さんの嘆きの深さが伺われます。

人が生まれ変わることをを、空海さんと同様に霊的な真実であると認識し、輪廻の輪から抜け出すことをテーマとして、わたしは仏道を歩んでいます。