体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

天才

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伊東明瑞(いとう めいずい)という書家がいます。明治22年に和歌山県に生まれ、2歳で漢学者、南海鉄山に師事。幼くして、古典を暗記し、驚くべき書の才能を発揮しました。5歳の時には明治天皇の前で書の腕前を披露し、天皇を驚嘆させています。

山口県の龍昌寺には明瑞の多くの書が収蔵されています。5歳の時の書には、明瑞のかわいい手形が朱で押されています。3歳の時の草書もありますが、ある書家は、幼少時の明瑞の書を見て「身のすくむほどに驚いた」と言っています。

明瑞は、まさに天才と呼ぶに相応しい人物です。少年期から全国を揮毫行脚し、大人たちは少年の才能に瞠目しました。

将棋の藤井聡太さんもそうですが、幼少時から信じ難い才能を発揮している人をみると、わたしは、その人の過去世を思わずにはいられません。輪廻のなかで、才能を育んできたのでしょう。

明瑞や藤井さんと比べたら、才能と呼べるような代物(しろもの)ではありませんが、わたしは、まだ法華経を学んで間もないころから、ある寺院の季刊誌に「現代人のための法華経」という文章を連載していました。振り返って、大それたことをしたものだと思いますが、何故か、法華経に出会った時、すでに、そこに込められているメッセージを知っていた気がします(知っていただけで実践はできていませんでしたが)。過去世で法華経に親しんでいたのかもしれません。

人は、諸々の執着から解き放たれない限り、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道(六つの世界)を廻り続けると仏教は説きます。私は、法華経智慧を真に体得して実践していれば、人間界に生まれ変わることはなく、輪廻を超えた仏の世界に住んでいたことでしょう。

藤井聡太さんやフィギュアスケート羽生結弦さんは、言うまでもなく人間ですが、彼らには、天界の気を強く帯びている印象を受けます。

天界の気を強く放っている人は、来世は天界の住人となるのかもしれません。そのような人の中には、来世で六道を超えて、仏の世界の住人となり、衆生済度を行っている可能性を感じる人もいます。

ですが、有名な棋士やアスリートの中には、名前は出しませんが「この人は明らかに修羅を生きている」と感じる人もいます。

才能のあることは素晴らしいことです。しかし、才能のあることと霊性の高さは必ずしも一致しません。

自己の進む道を究めながら、同時に、たましいを磨いていく。そのような生き方をしたいものだと思います。

藤井聡太さんは、幼いころ学んでいた将棋道場で、礼を大切にして、将棋に勝っても、決して奢(おご)り高ぶらないように指導されていたそうです。

いっぽう、ある進学校出身の若者から聞いた話ですが、学校で何か失敗すると「偏差値、分かっちゃうよ」と友達からからかわれ、先生はそれを笑って容認していたということです。

わたしは、法華経を通して、ひとりひとりの子どもの才能を大切にしつつ、すべての人への合掌の心を忘れない、たましいの教育をしていきたいと考えています。