体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

幸せについて・その2 ー 現世利益道から仏道へ ー

ブログ記事「お題目のすすめ ー13歳からの南無妙法蓮華経ー」で、ケンタのお母さんは、幸せの条件として、経済的な安定、健康、家族の仲が良いことを挙げました。

幸福の条件を問えば、多くの人がケンタのお母さんと同様、この三つを挙げるでことしょう。

戦後、新宗教は、入信すれば「貧、病、争」から抜け出せると言って、教勢を拡大してきました。この勢いに伝統仏教は太刀打ちでなかったと言えましょう。

真言、天台の密教だけではなく、日蓮宗禅宗でも「貧・病・争」から脱却し「富・健・和」を得るための加持、祈祷を行ってきました。しかし伝統仏教は、この三つ、すなわち現世利益を得ることを大々的に標榜することはしてきませんでした。

それは、釈尊が幸せになるために目を向けたのは、現世の利益ではなく、自己の内面に在る仏性(仏としての本質)であったからです。

仏道を歩む人たちは、仏性に目覚めるために修行をしてきました。「富・健・和」を目的地に置いたら、それは「仏道」ではなく「現世利益道」になってしまいますので。

先述したように、大多数の人が魅力を感じるのは「仏道」ではなく「現世利益道」でありましょう。わたしはこの思いを否定できません。ケンタのお母さんのように、お金があって、健康で、家族が仲良く暮らすことが幸せだと思うのは、人として自然なことです。

ところが、現世的な幸せがそれなりに満たされていていながらも、生きていて充実感を感じられないという女性と今日、出会いました。このような人は、決して少数派ではないようです。

近年では、ほとんどの新宗教が教勢を拡大できず、衰退の道を辿っています。それは、「現世利益道」に魅力を感じる人々が減少しているからなのかもしれません。

以下は、わが師、斉藤大法上人のフェイスブック上の文章からの引用です。

イースターリンのパラドクス

一人当たりGDPの高い国の子どもほど、生活全般の満足度が低くなることがわかりました。彼らの計算によれば、もし一人当たりGDPが2倍になった場合、48%ほど生活全般の満足度が低くなっていました。また、一人当たりGDPの高い国の子どもほど、喜びや安堵(あんど)などのポジティブ感情が低く、悲しみや怒りなどのネガティブ感情が高くなっていたのです。   

わたしは、日本の若い人たちの死因のトップが自死であるということも気になっています。辛い話ですが、わたしは教員時代、自ら命を絶った高校二年生の男子生徒の学年の主任をしていたことがあります。「いじめ」はなく、健康上も問題のない生徒で、家庭にも問題はありませんでした。両親もなぜ命を絶ったのか分からないと言っていました。           

この生徒について「わがままだ」と評した教員がいましたが、わたしはこの言葉に怒りを覚えました。命を絶った生徒は、外側の世界のみで幸せを追求しているこの世界に虚無を感じたのではないか。そんな気がしています。外側の幸せは寄る辺のないものです。わたしは彼は「わがまま」ではなく、「真面目に外側に幸せを求めて生きていて苦しかった」のだと思っています。     

実はこの生徒は、亡くなる一年前に数週間、不登校になったことがありました。そのとき、わたしは彼と面接をし、不登校の理由を知りました。                   

「一学期の中間試験では予想外の良い成績を取ることができました。でも次の期末試験で同様に良い成績が収められるか不安です。それで学校に足が向きません」これが彼の言葉でした。  

わたしは、彼にこう言いました。「大丈夫!君はしっかりとやっていけるだけの十分な力を持ってる。たとえ期末試験の成績が振るわなかったとしても気に病むことはない。先は長いんだ。一緒にがんばろう」 彼は笑顔でうなずき、それ以来、学校を休むことはありませんでした。                                        

悔やまれるのは、「本当の幸せは成績とか学歴とか経済力とか他者からの評価では得られない。君に内在する、いのちの輝きに目覚めた時に揺るぎのない幸せを手に入れることができるのだ」ということを彼に伝えなかったことです。                    

れ以来、元気のない生徒に出会うと、まず、わたしはこう言うようになりました。「成績が良いか悪いか、人から認められているかいないか、そんなことに関係なく、君は尊い。無条件で尊い!」                                     

このことを断言しているのが法華経です。『法華経』は最高の教育書であるとわたしは考えています。                                      

現世の学業や仕事を大切にしながらも、そこに絶対的な価値を置くことなく、内在するいのちの輝き、仏性に目覚めることを主軸として生きていく。そのような生き方を縁のある方々にお伝えしていきたいと思っています。それが釈尊の説いた、幸せを外界ではなく内側に求めていく生き方です。                                  

今、「現世利益道」の時代からから「仏道」の時代へと転換を図らなくてはならない時期に来ているのではないか。そのようにわたしは感じています。