体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

『13歳からの南無妙法蓮華経』を書くのに苦闘しています

以前、「13歳からの南無妙法蓮華経」という記事をアップしました。

これを一冊のささやかな書物にしたいと思い立ち、中学生男子との対話形式で書き進めることにしましたが、これがなかなうまく、はかどりません。

大ベストセラーとなった『嫌われる勇気』は、哲人と青年との対話で展開していきます。この書に登場する青年は、哲人の語る言葉にことごとく反発し、そのことで却って対話が深まっていきます。

いっぽう『13歳からの南無妙法蓮華経』でわたしと語り合う中学生の少年はいたって素直。摩擦が生じず、氷上を走る車の如く、うまく進まないのです。そこで一から書き直すことにしました。

対話ではなく、わたしが中学生に語りかける形にしました。「13歳からの」は「14歳からの」に改めました。中学2年生は誕生日を迎えると14歳になりますが、中学2年生~3年生から楽しんで読んでもらえるものにしたいと考えたからです。

もちろん90代の方にも楽しんでいただけるものにするつもりです。数年前に90歳で亡くなった母が生きていたら、まっさきに手渡したい本にしたいと思っています。もっとも母は軽度の認知症でしたから、わたしが繰り返し読んで聞かせることになったでしょうけれど。

この本が上梓できたら、「仏壇の前で音読しようかな」などと思っています。

さて、執筆形式と表題を変えましたが、書くのが困難であることに変わりはありません。

「難しいことを分かりやすく書けるのが本当に頭の良い人だ」とよく言われます(なかには易しいことを敢て難しく書いている人もいたりします。論文の場合はやむを得ないでしょうが)。

残念なことに、わたしは「頭が良い」などとは決して言えない人間です。

「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えることは幼児でもできますが、お題目を唱えることの意味を真に理解することは、簡単なことではありません。

日蓮聖人の遺文を味読し、信を深めつつ唱えて、はじめて「南無妙法蓮華経」とは何かが、からだで理解されるようになってきます。

頭が良くないだけではなく、「法華の行者です」などとは、おこがましくて到底言えないわたしが、若者に「南無妙法蓮華経」の本当のところを伝えることができるのだろうか・・・。そんな思いも涌いてきます。

ですが、長年、法華経を学び、お題目を唱えながら教員をやってきて、わたしはこう思ってきました。

法華経』は「いのちの尊さ」を教える最高の教育書である。『法華経』とお題目を、この混迷の時代に若者に手渡さなくてはならない。『法華経』とお題目を高齢者だけのものにしてはならない。

この思いが募って『14歳からの南無妙法蓮華経』の執筆を思い立ちました。

今、元気のない若者が増えています。以前、「日本に住む若者の死因のトップは自殺である」という記事を読んだこともあります。

元教員の六十代の僧侶は、仏教の叡智を若者に手渡し、若者を勇気づけたいと思っています。