体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

なぜ『14歳からの南無妙法蓮華経』を書こうと思うのか



『十四歳からの南無妙法蓮華経』というタイトルの本を上梓することを視野に入れて、「十四歳の君へ」という表題で、次回から記事を連載していきます。

これは、わたしにとってなかなか難しい仕事です。この内容とは関係ない記事も挟みながら、少しずつ連載を進めていくつもりです。

そもそも、学校の勉強や部活動で忙しい中学生にお題目(南無妙法蓮華経)を唱えることを勧めるというのは、相当に難儀なことです。

空いている時間は、SNSで仲間と交流したりスマホでゲームをしたりするのが中学生の日常。お題目を唱えようなどと思うのは、かなり殊勝、あるいは風変わりな中学生であると言ってよいでしょう。はたしてこの「体験する仏教」の愛読者に中学生がいるのでしょうか。

「若者が仏教に興味を持つことは、まずないでしょうな。仏教に親しみや関心を持つのは、老年になってからですよ」と言う大人もいます。

お題目系新宗教の二世、三世の若者が、親から言われて南無妙法蓮華経を仏壇の前で唱えているということはあるかと思いますが。

にもかかわらず、わたしは『十四歳からの南無妙法蓮華経』という本(ささやかなものになるとは思いますが)を刊行したいと願っています。

それは、一言でいえば、南無妙法蓮華経を唱えることによって、人生を生き抜く力が涌いてくるからです。

イジメや虐待を受けている若者がいます。発達障害で苦しんでいる若者、ヤングケアラーとして厳しい日々を過ごしている若者もいます。そうではなくとも競争社会の中で、生きづらさを感じている若者はたくさんいます。

このような若者たちに『法華経』を手にしてほしいのです。このような若者たちと共に南無妙法蓮華経を唱えたいのです。

教員時代、問題を抱えている生徒やモンスターペアレントと向き合って、息も絶え絶えの時がありました。廊下を歩いているわたしの後ろ姿を見た同僚から「今にも死にそうな感じだよ。大丈夫かい」と声を掛けられたこともあります。

そんな時、わたしは法華経から「生きよ!」というメッセージを受け取り、元気を取り戻し、窮地から脱することができました。

言うまでもなく『法華経』を手に取り、唱題するかどうかは、その若者の判断に委ねられます。強要することがあってはなりません。

わたしは、ただ若者にみずからの宗教的体験を語り、若者の前で敬いの合掌をして南無妙法蓮華経を唱えたいと思っています。

その姿を見て、しょぼくれた老人だとしか思わない若者もいるかもしれません。それでもわたしは、若者たちに『法華経』のメッセージを手渡し、全身全霊で南無妙法蓮華経を唱えていきたいと思うのです。