体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

14歳の君へ① -南無妙法蓮華経って、十代の君に必要なものなのなのだろうか?-

南無妙法蓮華経。この言葉を君はどこかで聞いたことがあるのではないかな。

親、あるいはおじいちゃん、おばあちゃんが熱心に唱えているという人もいるだろう。

君は、南無妙法蓮華経は、自分にとっては関係のない言葉だと思っているかもしれないね。

「南無妙法蓮華経を唱えていると、死後、お浄土と呼ばれる美しい世界に行けるよ」と言われても、若い君は、南無妙法蓮華経を唱える気持ちにはならないだろう。

わたしは、かつて高校の教員をしていたけれど、わたしが「南無妙法蓮華経を唱えれば魅力ある人になれるぞ」とか「悩みが消えるぞ」とか言ったとして、素直に「そうなんだ!」と思って、真剣に南無妙法蓮華経を唱える十代の若者は、まずいないだろうね。

お浄土があるのか。唱題(南無妙法蓮華経を唱えること)で現実が良い方向に向かうのか。このことについては、いずれ触れるつもりだけれど、今の君が唱題を自分とは無縁のものだと思ったり、唱題に魅力を感じなかったりするのは、至極当然のことだと思う。「唱題なんかより、自分には、やらなければならない事やしたい事がたくさんある」そう思っているのではないかな。

このことを承知の上で、わたしは君に「いっしょに南無妙法蓮華経を唱えてみないか」と語りかけようと思っている。

中には親に強制されて唱題をしている子どももいる。これは好ましいことではないな。君の人生の主人公は君だ。もし君が納得のいかないままに、周囲の大人から強要されて唱題をしているのだとしたら、主人公を辞めて誰かの人生の脇役をやっていることになる。

唱題に限ったことではないが、何かを実行するにあたっては、よく考え、最終的にみずから決断することが大切だ。

南無妙法蓮華経は、君が自由に幸せに生きるために、とても大切なものだ。そうわたしが言っても、君は簡単に頷くことはできないだろう。すぐに頷けないのは君の心が健全に働いている証拠。それでオーケーだ。

まずはわたしの言葉に耳を傾けてみてほしい。その上で南無妙法蓮華経を君の人生の中に据えるかどうかを決めてもらえればと思う。

さて、わたしは君に幸せな人生を歩んでほしいと願っているが、君は「幸せって何?」と訊かれて、「これが幸せです」と確信をもって答えられるかな。

まずは、幸せとは何か。このことから考えていくことにしよう。