14歳の君へ⑥ お釈迦さまの目覚め・その3 ー人工知能 VS. お釈迦さまの智慧ー
あるお坊さんが、Chat GPTに「どうすれば幸せになれるか、子どもにも分かるように」と質問したら、回答の最後の要約はつぎのようであったそうだ。
自分自身を大切にし、目標を持ち、周りの人たちと良好な関係を築き、感謝の気持ちを持ち、毎日の小さなことに意識を向けることが、幸せになるための方法です。
人工知能ってすごいな。君はそう思ったかもしれないね。この回答に異を唱える親や学校の先生はいないだろう。だが、お釈迦さまの「幸せになるための方法」は、Chat GPTのそれとはまったく異なったものなのだ。
この回答が幸せになるめのレシピなら、このレシピに従えば、誰でも幸せになれるはずだ。有名シェフのビーフシチューのレシピに従えば、誰でも美味しいビーフシチューを作れるようにね。
だけれど、自分自身を大切にしていても、大病を患ったり事故に遭ったりすることもある。目標を持っても叶わないこともある。友達と良好な関係を築こうとしてイジメに遇うこともある。愛する人を失うこともある。Chat GPTの幸せのレシピ通りに生きて幸せになるのは、相当に困難だ。
この世の現実のありさまを見たとき、このレシピはあまり役に立たないと感じるのではないだろうか。
お釈迦さまは、この世界のすべては苦であると言い切っている。お釈迦さまは、夢見がちなロマンティストではなく、理想主義者でもなく、現実を冷静に直視している人だった。
宗教の世界は現実逃避の世界だと言う人がいる。だが、お釈迦さまの教えに限って言えば、それはまったくあてはまらない。
Chat GPTの幸せのレシピは、倫理・道徳的なものだ。それは社会を生きる上で大切なものであるけれど、それによって真に幸せになることはできないと、お釈迦さまは覚ったのだ。世界は諸行無常なのだからね。
「四苦八苦」という言葉を聞いたことがあると思う。「大きな苦しみ」という意味だ。「資金繰りに四苦八苦しています」などと言ったりする。これは本来は、お釈迦さまが直視した、この世の八つの苦しみの総称なんだ。
まず、生・老・病・死。この世に生を受け、老いて、病み、死んでいく苦しみだ。
仏教講座で、わたしはこんなことを言ったことがある。
「皆さんは昨日より今日、今朝より今、一歩一歩、間違いなく確実に死に近づいています」
受講生は一様に嫌そうな顔をした。でもこれは真実だよね。真実だけれど、死は忌まわしく、嫌なものだから、日常は忘れることにしているのだ。
生・老・病・死の四つの苦に合わせた後の四つの苦しみは、愛別離苦(愛する人やモノと別れなければならない苦しみ)・怨憎会苦(嫌な人やモノに会わなければならない苦しみ)・求不得苦(求めても得られない苦しみ)・五蘊盛苦(煩悩を制御しようとしてもできない苦しみ)だ。
人は四苦八苦から逃れることはできない。このことをしっかりと直視することから、お釈迦さまの「幸せになる方法」はスタートする。
「四苦八苦」を説く仏教は、陰気でもの淋しい感じがして好きになれない。そう言う人がいる。だけれど「この世界は苦しみに満ちている」というのは、お釈迦さまの教えのの出発地点に過ぎない。これで終わってしまったのでは救いがないけれど、お釈迦さまは、はっきりと四苦八苦を超えていく道を示しているんだ。
囲碁や将棋の世界では、棋士がAI(人口知能)に太刀打ちできなくなっている。だけれど「幸せになるための方法」については、お釈迦さまの智慧は、AIの遥か先にある。そう、わたしは実感している。
「この世界のすべては苦しみである」というお釈迦さまの教えを「一切皆苦(いっさいかいく)」という。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三法印に「一切皆苦」を合わせてて四法印(しほういん)と言うこともある。このことを付け加えておこう。