体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

14歳の君へ③ ーお釈迦さまが求めた、ほんとうの幸せー

東日本大震災から数か月後のことだ。わたしは、ベットにうつ伏せになっている母の腰を揉んでいた。そのとき、母はこんなことを言った。

「ああ、気持ちがいいわ。住む家があって、不自由なこともなく、こうやって息子に腰を揉んでもらえて、わたしはほんとうに幸せ」

そう語る母に、わたしはこう言った。

「明日もこの幸せが続くかどうかは分からないよ。東日本大震災はこのことを教えてくれたよね」

意地悪な息子だと思うかもしれないけれど、これは真実だ。明日、大震災が起きなかったとしても、交通事故か何かで、わたしが突然いのちを失うということもあり得る。

何かを得ることによって得られた幸せは、寄る辺ないものだ。

仏教の開祖、釈尊(お釈迦さま)は、一国の王子として何の不自由もない環境の中で育った。豊かで快適な生活を送り、大切に育てられ、健康だった。さらに言えば聡明でもあった。

釈尊は、先に紹介した「幸せの三つの条件」を満たしていたといって間違いないだろう。だが、感受性の豊かだった釈尊は、自分の得ている幸せが真の幸せだとは思えなかった。それを、まことに儚(はかな)いものだと感じたのだ。

それは、お城の外へ出て人々の生活を見たとき、病を避けることは難しく、誰もが老いて必ず死ぬということを、はっきりと自分の目で見て知ったからだ。

「この世に生を受ければ、老、病、死の苦しみを避けることはできない。この苦しみを克服することはできないのだうか。この苦しみを超えて、揺るぎのない幸せを得たい」

釈尊はそう思って修行の旅に出た。王子として所有している美しいもの、愛すべきものすべてを投げ打ってのことであった。釈尊29歳の時のことだ。

釈尊は雨期は乾燥した地、夏季は清涼な地、冬季は温暖な地にある宮殿で生活していたという。これらすべてを捨てて修行者となったのだ。

この話を教え子たちにしたとき、ある教え子がわたしにこんなことを言った。

「ぼくの両親は、夜遅くまで汗水たらして働き、、長期のローンを組んで、やっと小さな一軒の家を買いました。それでぼくも自分の部屋を持てて嬉しいんですけれど、お釈迦さまが三つの宮殿を手放した話を両親にしたら、『あり得ない!』って言うでしょうね」

幸せになるためには、物質的な豊かさを得ることが不可欠であると思っているいる、多くのこの国の現代人にとっては、釈尊のとった行動は、たしかに信じ難いものであるといってよいだろう。

釈尊の教えに基づいているという新宗教の信徒から、若いころ「必ず経済的に豊かになれる、すばらしい教えなんでよ」と入信を勧められたことがる(当時、わたしは決して豊かではなかったので、勧誘されたのかもいれない)。

そのとき、「釈尊の教えに依っていると言いながら『入信すれば必ず経済的に豊かになれる』というのは、ちょっとおかしいんじゃないの」と思ったのを憶えている。その信徒に「あなた、釈尊が修行の旅に出た動機を知っているのですか」とは言わなかったけれどね。

釈尊は、決して失われることのない、物質的ではない真の幸せを求めて、厳しい苦行に励んだ。だが、苦行でそれを得ることはできず、その後、菩提樹の下で深い瞑想に入り、遂に絶対的な幸せに目覚めた。

仏教は、失われることのない真の幸せに至るための教えなのだ。南無妙法蓮華経を唱えるのは、この絶対的な幸せに目覚めるためなのだよ。このことは後にじっくりと話そう。

では、釈尊の目覚めとはどのようなものであつたのだろうか。つぎにこのことを語ろう。