体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

14歳の君へ⑪ 人生に目的はあるのか

「君の人生の目的は?」そう、十代の若者たちに訊いてみたら、こんな答えが返ってきた。

介護福祉士の資格を取って、この資格を生かせる仕事に就くことです」、「結婚をして幸せな家庭を築くことです」、「都会を離れて豊かな自然の中で作物を育てることです」・・・。

これを聞いて、わたしはこう答えた。

「それは目標で、目的ではないよ。目的とは最終的な到達地点だ。だから『当面の目標』と言うけど『当面の目的』とは言わないよね」

皆、さまざまな目標を持って生きている。目標は大切だ。目標を持つことによって生きる意欲がわいてくる。

さて、では人生に目的はあるのだろうか。

ある高名な作家はこう言っている。

「人生に目的はあるのか。私はないと思う」

わたしは、このように語る何人かの知識人と出会ったことがある。

人生の最終到達地点は、誰にとっても死だ。これに例外はない。だとしたら「目的はない」と思うのは肯(うべな)える。精一杯努力をして何かを得ても、それは、最終的には雲散霧消してしまうのだからね。

だが、わたしは、いのちは肉体の死をもって消滅はしないと感じている。死がいのちの行き着く最終到達地点だとは認識していないので、人生に目的はあると思っている。

ある僧侶は、少年時代ずっと「死後はどうなるのだろう」という疑問を抱いていた。死への恐れもあったのだろうね。僧侶となってから、お師匠さまにこの疑問をぶつけてみると、お師匠さまはこう答えたそうだ。

「この問題は、真剣に仏道修行に励んでいれば、直ぐに解決できる」

実はわたしも少年時代、死に怯(おび)えていたのだが、、実際、唱題修行をしているうちに、死後も生命が持続しているということを、当たり前のこととして捉えるようになった。

では、人生の目的とは何なのか。お釈迦さまの教えからすれば、それは成仏すること、つまり仏となることだ。

死んだ人のことを「仏さん」と言うことがある。だが、死ねば誰でも直ぐに仏になれるわけではない。また、生きているうちは仏になれないということもない。日蓮聖人は「生きてこの身を持ちながら仏になることができる」と言っている。

では、いったい仏とはどのようなものなのだろうか。つぎにこのことについて語ろう。