体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

14歳の君へ⑫ 君もブッダになれる

お釈迦さまのことをブッダと言うことがある。ブッダとは「目覚め人」という意味で、固有名詞ではない。仏とはブッダのこと。目覚めれば君も仏だ。

では、お釈迦さまは何に目覚めたのか。それはすでに話してきたとおり、三法印というかたちにまとめられている。諸行無常諸法無我という気づきを得て、お釈迦さまは、涅槃寂静、つまり絶対幸福と呼べる境地に達したのだ。

有為の世界に在って、無為の世界をまったく感じていない多くの人々の幸せは、環境に依存している。

健康、金銭、愛情、信頼・・・。そういったものを失えば、とたんに不幸になる。この世は無常だから、今 これらに満たされていたとしても、わたしたちは、いつもどかかで「失うことへの不安、恐れ」を持って生きているといってよいだろう。

だが、お釈迦さまは、身体が衰弱しても、誹謗中傷されても、他者から裏切られても、嵐の中にあっても、絶対的な静けさの中で、心満たされて微笑んでいた。

それは、波としての私は、海、すなわち大いなる御仏(みほとけ)のいのちの顕れであり、本質的にはワンネスで、自他には優劣も貴賤もないということに目覚めたからだった。

この目覚めを得た人こそがブッダ、すなわち仏だ。

と言うと、君は「ボクには無縁の話だな」と思うかもしれない。たしかに、環境に一切依存しない幸せに目覚めるというのは、困難極まりないこと、といった感じだよね。

だが、「誰もが間違いなく仏になれる」というのが法華経の教えなんだ。

身延山短期大学の学頭(学長)であった室住一妙〈1904~1983)というお坊さんは、燃えるような信仰心を持って学生を導かれた方であった。

室住先生は、いつも学生たちにこう言われていたそうだ。

「仏となれよ、今すぐに」、「なにはさておき、今すぐに」、「遠慮はいらん、今すぐに」

「エッ、今すぐに?」と君はビックリしたかもしれない。だが、これが法華経の行者、日蓮聖人の教えなんだ。

日蓮聖人の教えは、「死後に涅槃寂静の境地に達しましょう」というものではない。今ここで、自己がおおいなる御仏(みほとけ)のいのちと共にあることに目覚めれば、ここが涅槃寂静の地であると言う教えなのだ。

無常の世を厭(いと)い離れるて美しいあの世に往こうというのではない。憎しみも裏切りもある、汚泥(おでい)のようなこの世界にあって、蓮のように美しい花を咲かせようというのが、『法華経』、日蓮聖人の教えなんだ。

汚泥不染(おでいふぜん)という言葉がある。『法華経』の教えの徳(優れた特性)を示した言葉だ。

蓮の花は、泥水の中に咲く。きれいな水の中では咲かない。「あなたも蓮の花のように、汚泥の中で美しく花を咲かせ、仏になることができるのだ」というのが法華経のメッセージなんだ。

法華経』の正式な経典名は『妙法蓮華経』。現代の言葉にすれば「白い蓮華のようなもっとも勝れた正しい教え」だ。

泥沼のようなこの世界で、美しい白蓮華を咲かせる。それが法華経者(法華経の信仰を持った人)の在り方、生き方なんだ。

室住先生の言葉をいくつか紹介しよう。

〇人生の目的は自分も他人も成仏すること。

〇信仰の目指すものは成仏。本当の自分に帰ることが成仏だ。

〇仏とは大宇宙を自分の体であり、生命であると信じている人のこと。

さて、成仏、仏になるということについて、さらに詳しく語ることにしよう。